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Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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残り一週となって
 先ほど、響鬼の四十七之巻を見終わりました。まだその部分についてのレビューが書けるほど考えがまとまっていないのですが(そっちはそっちで別に書きたいと思ってます)、それとは別な考えが、今、私の頭の中をぐるぐると回っています。

 ああ…なんで誰にとっても決して良くはない、こんな事態に陥ってしまったんだろうって。

 私のように二十九之巻までの方が好きな人もいれば、逆に三十之巻以降の方が好きな人もいます。それ自体は人それぞれなので、それでいいんですよ。両方とも好きだ、という人だって少なからずいますしね。でも、じゃあこう言いきれる人はどのぐらいいるでしょうか。「二十九之巻以前も三十之巻以降も、全く違和感なく一つの作品として見られる。何の問題も感じない」と言える方が。
 私は今、「作り手が一本の作品として作り通すことを許してもらえなかったこと」、そのこと自体が響鬼という作品の悲劇だろうと思っています。これは途中で降板してしまった高寺Pを中心としたスタッフのみでなく、途中から引き継ぐことになってしまった白倉Pを中心としたスタッフに対しても同様です。アホみたいな例えで申し訳ないんですが、北斎が半分以上書きかけの絵をピカソに続きを書かせたとして、どのぐらいまとまりのある作品になるでしょうか。北斎が上とかピカソが上とか、そんなレベルの話じゃないでしょう?作品を作るってことは、構想から仕上げまでをちゃんと責任を果たす誰か(もしくは何人かのグループ)がいて、それでこそ「一つの作品」として世に出せるんです。もちろん、中には異種格闘技戦を想定したコラボレーション的な作品もありますけど、でも響鬼はそれを目指した作品ではなかった。スタンダードに、最初から最後まで芯を通すべき作品だったはずなのです。

 それが、何らかの事情で、途中で大きな路線変更とスタッフの交代が起こってしまいました。何故当初のスタッフに責任を最後まで持たせてあげられなかったのか。路線変更が避けられない必要なことだったとしても、当初スタッフに責任を持ってもらう形で最後まで作って頂けなかったことは何とも口惜しい限りです。そのせいで、変更前の、変更後の、或いは通年で関わったスタッフがどれほどの苦汁を飲まされたことか。

~~~

 お世話になっているツバサさんの「特撮ヒーロー作戦!」の記事経由で(いつも参考にさせてもらってばかりですいません)、こんな記事を拝見いたしました。

 「はすはなちゃろぐ」さん
 [響鬼]前半について思うこと

 内容については読んでいただけばお分かり頂ける通りなんですが、すごく雑ぱくに言ってしまえば「前半響鬼にも色々とまずい点があったように思う」ということです。こういう考えの方は他にもおられますし、冷静な口調で語られるその言葉には大変重みがあります。未だに二十九之巻までの魅力を忘れられない私にも、肯かされることばかりです。二十九之巻までの響鬼が完全無欠だったわけでは決してないな、と。それが自分にとって魅力に溢れるものであることは今も変わりはありませんが、突っ込みどころが全くない作品というわけでも無かった、とは言い切れると思います。

 ただ、そこで私は先の疑問を口にしたいのです。「何故当初のスタッフに責任を最後まで持たせてあげられなかったのか」と。これは響鬼の当初スタッフに限った話ではなく、仮に白倉Pが当初から作っていても良かったと思います。問題なのは「高寺Pが降板したこと」ではなく、「途中でPごと中心的スタッフの一部をすげ替えてしまったこと」にあると思うのです。

 二十九之巻でいわゆる「前期」スタッフは、「事実上の最終回」とまで言われたような、大きな区切りを作りました。しかし、それは作品自体の完結では無かったと思います。それはむしろ「事実上の打ち切り」「事実上の未完」であったはず。残り19話分で何かを取り戻す可能性も、或いは残念ながら舌足らずに終わってしまい「それほどの作品でも無かったな」と結果的に評される可能性も、全てがそこでとぎれてしまいました。本来なら、どのような出来になるものであれ、作り手には最後まで製作を全うして頂くべきでした。そうすれば、良い評価も悪い評価も、真摯なものとして世に響いたはずです。

 三十之巻以降のいわゆる「後期」スタッフにしても同じことが言えます。確かに「前期」スタッフの作ったものと地続きにならなかったとは言え、それを「後期」スタッフの全責任にしてしまうのはあまりにもむごいことでしょう。そして、「後期」しか描けなかったことで、三十之巻以降には常に「『前期』と比較され続ける」という宿命が負わされてしまったのです。そう、「二十九之巻以前」が一つの作品として完結していないのと同様に、「三十之巻以降」も独立した一つの作品としては永遠に完成し得ないのですよ。

 結局、大がかりな路線変更をスタッフ交代とともに行うことを決めた時点で、響鬼は「永久的に未完の作品」となることを定められてしまったのです。これを無念と言わずして何と言いましょう。「前期」のファンは、こう言い続けるでしょう。こうなるはずではなかった、「前期」スタッフが作り続けていれば、もっと素晴らしいものができたに違いない、と。それに対して、「後期」ファンはこう言い続けるに違いありません。「前期」だって穴はいっぱいあった、むしろそれを補ってあまりあるドラマ性を見せてくれた「後期」こそ素晴らしい、と。しかし、「『前期』スタッフが通年で作った結果」も「『後期』スタッフが通年で作った結果」もわからない以上、結局は仮定の話でしかないのですよ。「前期」スタッフが作り続けても、ラストは良くなかったかもしれませんし、「穴」と感じられる部分を見事に埋める、素晴らしい展開が待っていたかもしれません。「後期」スタッフが一から響鬼を作っていても、大勢に受け入れられる作品にはならなかったかもしれませんし、逆に「前期」響鬼を凌駕する人気を誇るものになったかもしれません。でも、そのどれも証明する手だてはないのですよ。

 だから、私は東映さんに問いたい。「何故大がかりな路線変更とスタッフの交代を行ってしまったのか」と。良い評価も悪い評価も責任を最後まで持って頂く方向で、「前期」スタッフに全てを委ねられなかったのは何故ですか。逆に、常にバイアスがかかる評価しか受けられないようなむごい立場を「後期」スタッフに課してしまったのは何故ですか。それがよく言われる「おもちゃが売れないから」「視聴率がふるわないから」という理由によるものだという理屈を、私は信じません。それは路線変更で十分なはずで、スタッフすげ替えの理由にはならないからです。それが証拠に、すげ替えた後のスタッフによって変わったのは「一時的な視聴率の大幅な向上」だけではないですか。その後視聴率は前期並みに戻ったらしいですし、おもちゃについては特段「前期」と比べてフィーチャーされたようには思えません。ひょっとしたらあの騒動は、「スタッフのすげ替えがまずありき」で行われたものなのではないか、と邪推されてもしょうがない状況ではありませんか。

 会社という組織の中で働く以上、内部で色々があることは避けられないとは思います。しかし同時に、会社には「それらの内部の色々を決してお客様に見せない」という大事な命題も存在するはずです。東映のお客様は、テレビを見ている人ではない?お金を払うスポンサーがお客様?いえいえ、このビジネスモデルは「視聴者」の満足を得ることで間接的に「視聴者」以外から収入を得る、そういうモデルなのですよ。「視聴者」の満足が得られない状態で、スポンサーからお金が入り続けることなどあり得ないのです。だからやはり、内部にきしみのあることを「視聴者」に見せて、会社に利益のあることなんか一つもないのです。東映は今回、響鬼という作品の路線変更を行うことで、内部のきしみを視聴者に見せてしまったのではないですか?

~~~

 その部分には、これからも異は唱え続けていきたいです。作り手の方々が安心して製作を全うできるような、視聴者が惚れて見始めた作品がその当初の意図通りに最後を全うできるような、そんな世界を目指すために出来ることを、ちょっとずつでもやっていきたいなと。思い返せば、私にとっての復活運動は最初から既に「敗戦処理」だったのだと思います。仮に途中で高寺Pが戻ってきたとしても、響鬼が路線変更&スタッフ交代されてしまった時点で変わってしまったエピソードはもう動かしようがないのですから。そして、最初からそうだったからこそ、高寺Pが戻ってこなかった今も、私自身の「敗戦処理」は終わらないのです。平和への願いが常に綴られ続けるのと同様に、作品が理不尽な理由によって、作り手すら意図せぬ方向に歪められるような騒動が二度と起きないよう、微力ながら願い続けていきたいと思います。


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響鬼の「完全新生」路線とそのスタッフを断固支持します!
□『仮面ライダー響鬼『完全新生』路線 復活運動』
http://just.as/hibiki
「旧路線とスタッフの復活」を願う方は、どうぞ積極的にコメントとTBをお寄せください。
旧路線・スタッフの復活を願う方の記事であれば内容は問いません。

現在具体的な運動としては、「たのみこむ」におけるネット署名活動を展開中です。
ぜひご賛同ください。
□たのみこむ「響鬼に理想の最終回を!」
http://www.tanomi.com/metoo/naiyou.html?kid=52641
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※過去の記事はこちらからどうぞ。
 響鬼特集~響鬼記事リンク集
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コメント
この記事へのコメント
全うしていただきたかったです
 なぜあの時期に予告なく行われたのか今でも理不尽な思いにかられます。DVD販売も始まっており、1年間安心して見られると判断して購入しだしだしただけに、基本設定すら毎回無視されてゆくのは呆然とするばかりでした。現場の製作の方々の努力や役者さん達の努力を見ていこうとしても無理でした。
 特撮番組での路線変更は当たり前だという意見も見ましたが、今回のような失敗の形はもう見たくありません。
 紅白にはとても感動しましたし、29話までの設定のまま、続きを見たいという希望も今でも捨て切れませんが、来週の最終回は1年間役者さん達の名演技が見られたことを祝して見たいと思います。
 いつもありがとうございました。
2006/01/15(日) 14:53:41 | URL | かかし #-[ 編集]
終了しても
初めまして、以前からよく読ませて頂いてました。 
響鬼の路線変更は本当に残念でなりません、私も2005年の仮面ライダーは高寺Pでいくと決めたんだから最後までやらせるべきだと思いました。
来週で響鬼は終わりますがいつまでも悔いが残る感じがします。
正直な事を書くと、響鬼のPが高寺さんと知った時、これでしばらくは白倉Pの呪縛から逃れることができると凄く安心してたんです、私の中でクウガの印象が強くて白倉Pの作りだす世界観がどうしてもついていけませんでした。     もっと正直に言えば劇場版にも携わってほしくなかった、ただ今回の路線変更では白倉Pと井上さんも被害者です、それは解るのですがあまりにも前半とは違う人物設定と展開にどうしても怒りの矛先が白倉Pと井上さんに行ってしまいます。
確かに前半響鬼にも欠点があります、それでも前半響鬼の方が好きなんです。
もし高寺さんがライダーシリーズに復活する事があれば、好きなようにやらせてほしいと思いますが、しばらくはないんでしょうね。
長文失礼しました。
2006/01/15(日) 19:02:52 | URL | 折勿 #-[ 編集]
↑の名前ですが、打舞流と書いてダブルです。名無し状態になってしまいすみません
2006/01/15(日) 19:06:02 | URL | 打舞流 #-[ 編集]
確かに
とても残念としか言い様がないんですよね。
細川氏をはじめとして、役者陣が頑張ってくれればくれる程、残念としかいいようのない想いが胸の奥を満たしていくのです。演じている人の方が辛かったのではないかと思いますしねぇ。
そして、無念な想いをしたのは、響鬼に関わった全スタッフもそうだと思います。高寺Pだけじゃなくてね。
今回の路線変更は、東映内の人事といったらそれまでで、当の東映はたぶんさほど意にかいしていないのかもしれませんが、多くの視聴者の期待を裏切ったのは確かだと思います。
今後は、こういうことのないようにして頂くとともに、またどこかできちんと響鬼を終らせてもらえないかと願うばかりです。
2006/01/15(日) 19:24:18 | URL | ルシファ #-[ 編集]
無念を前向きな方向に
…変えなきゃイカンというのが僕らに課されていたテーマだったような気もするのですが、それはさておき。皆さま、アツいコメントの数々、どうもありがとうございます。

>かかしさん
>なぜあの時期に予告なく行われたのか

一種の「クーデター」めいた出来事に近かったですよね、あの感じは。あの瞬間は、私にも衝撃でした。脚本が井上さんであることは前の週から覚悟していたのですが、アバンが変わってアレアレと思う間にOPで白倉Pの名に変わっているのを見た刹那、目の前が真っ暗になった記憶があります。

そんな出来事から、得難い数々の経験が出来たことは何とも皮肉なことですが、得られたことは今後にも生かし、願い続けてきたことはこれからも願っていきたいと思う次第です。

>打舞流さん

かっこいいHNですね。それと、前から読んで頂いているとのこと、どうもありがとうございます。

既にいくつかの記事でお読み頂いているかもしれませんが、私も白倉さんがPを務めた作品では、どちらかと言えばあまりいい感想は持っていないことが多いので、お気持ちはよくわかります(苦笑)。ただ、今回の件に関係して色々と見聞きした結果、白倉さんがとても頭のよい方だとわかったことは大きな収穫でしたし、彼の作品をこそ愛している方々が少なからずいることをしっかりと認識できたことも、自分にとってとても良い経験になったと思っています。

響鬼に関しては、今まだ割り切れない思いを私自身が感じてはおりますが、前と思う方向を探り当てて進むことだけは続けたいと思っております。それが自分の強さになることを教えてくれたのが、他ならぬ響鬼でしたから。

>ルシファさん

僕の嫌いな言葉の一つに、「CS」=顧客満足度というのがあるんですが、何で嫌いなのかというとこれ、結局流行り言葉に終わってしまい、その意味する最も大事な概念が浸透しなかったと思ってるんです。

どんな立場にも、それを行うべき「道」がある、武士には武道が、商人には商道が、という言い回しが私は好きです。特撮にしろアニメにしろ、作り手にも相応の「道」があると思うんですよね。今回路線変更&スタッフ交代を行った意思決定者は、その「道」を外れていたのでは、と思っています。そして、「顧客満足度」の示す意味をも、ちゃんと理解しては下さらなかったのだろうなと。

でもね、何か、このままでは終わらないような漠とした予感もあるんですよ。響鬼のままではないかもしれないけど、何かの形で、報われる日が来るような。その日まで、今の気持ちを忘れずにいたいなと思う次第です。
2006/01/16(月) 02:14:18 | URL | てりぃ #O8jQI81I[ 編集]
聞きたいことが
てりぃさん、お返事ありがとうございました。

一つ疑問に思ったのですが“白倉さんが頭のとてもよい方だとわかった”と書いてましたけど、どんなところでそのように思ったのか教えて頂きたいです。
2006/01/16(月) 13:43:01 | URL | 打舞流 #-[ 編集]
初めまして。
トラバさせていただきました。
今後も「響鬼」と同じ悲劇はまたあるような気がします。
意思決定者が「道」を外してしまってる以上、これからも。
2006/01/16(月) 20:38:01 | URL | 中島よしゆき #-[ 編集]
願い
>打舞流さん

はじめに予防線を張らせて頂きますが(笑)、私は白倉さんが大変頭の良い方だと思ってはおりますが、一方で彼の関わる作品ではいい思いをした経験があまりありません。「頭がよい」ということと、それを「私の好きな方向で生かして下さっている」ということとは、必ずしもリンクしない、ということですね。あ、もちろん、彼の作品をお好きな方のことをどうこう言うつもりは全くありませんです。純粋に好みの問題ですよ。

で、ご質問の件ですが、白倉さんのブログの過去記事を読んで、その中に今回の一連の騒動のバックボーンとぴったり符合しそうな部分があったのですよ。その記事が書かれたのは確か龍騎放映前後ぐらい。その時既に特撮が直面している問題を適確に分析できていた、というところに感心いたしましたのです。

>中島よしあきさん

TBではいつもお世話になっております。

私も、今後も似たような悲劇は続くと思います。だからこそ、声は残していかなきゃいけないかな、というのが今の気持ちです。カッコつけるわけじゃないですが、視聴者が全員諦めちゃったらそこで終わり、という気がするんですよね。製作サイドにも少なからずいらっしゃるであろう、「このまま悲劇が起き続けるようなことではいけない」と思っておられる方にエールを送る意味でも、声を上げ続けることが決して無駄にはならないと思って、歩んでいくことにします。

中島さんの記事と、紹介されたページも読ませて頂きました。大いにうなずくところが多く、であればなおのこと諦めてはいられないな、との思いを強くしましたです。細々とでも、続けていきたいですね、願うことを。
2006/01/17(火) 01:54:20 | URL | てりぃ #O8jQI81I[ 編集]
その道に志は有るのか?
確かに前半についていえば、脚本の力不足は感じざるを得ませんでした。「中学生日記」と揶揄される程のストイックな展開だけに、余計脚本力としては相当な腕を持った人がやるべきだった、とは思います。
ただ、じゃあ井上氏はどうか?といえば、扇情的な材料をかき集めてきた物のそれを無系統に連発した挙げ句、ここに来て大破綻してしまった。しかも、彼にとって「響鬼」という作品で(いやさヒーロー物で)語るべき事は何も無かったのでしょう、恐らく。
しかも、白倉氏もヒーローという物に対して酷く懐疑的である。いくら何でも高寺氏の後任としてはミスマッチにも程がありました。はっきり言ってこれは統括の鈴木武幸氏の責任といって良いでしょう。例えば前番組で失敗したとはいえ日笠PDをつれてくれば、ここまでの破綻なくバランス良くは纏めてくれたでしょう。名PD必ずしも名部長ならず?でしょうか。
話を戻すと、前半響鬼には「語りたい何か」を感じました。私だけでなく、漠然と「前半が良い」と言っている方の多くもそうではないか?と思います。同時に後半にはそれが微塵も感じられない、ただ目先の派手さ、ストレスだけで話を引っ張ろうとした、だからこその憤りなのだと思います。

島本和彦さんが御自分のページで「好きなものとか、大切なものは「動いて」、「行動的に」「能動的に」大切にしないと、応援してか無いと、無くなってしまってからでは、遅いんだね。」と仰ってました。まさに今回の顛末はまさにその通りでした。
少子化の中、いつまで「ヒーロー番組」が健在なのか?解ったものではありません。おもちゃを買うか?どうかはともかく、「声をあげていく」事がより大事になっていくのかもしれません。
中島さんが仰る通り「道」を外した志持たぬ者が舵を取り続けるうちは…。
2006/01/17(火) 04:32:35 | URL | 特命課桜井 #239ZmNdU[ 編集]
私もです。
追っかけ再生している私は、まだまだ楽しみがあり、少々脳天気です(すみません)。

でも、響鬼がこんな形で終わってしまうのかと思うと残念でたまらないと言う気持ちは同じです。

最近よくテレビに出ている三谷幸喜さんが「俳優が出たいと思うような脚本を書く」というようなことを言ってました。
響鬼の脚本が途中でガラリと変わった時、出演者たちはどう思ったんでしょう?響鬼に出ていた俳優たちが求めるものは子供が見るものだろうと大人が見るものだろうと関係なく、高い位置にあるものだと私は思っています。だから、製作者側がどう思っているかとは別に、彼らはこのままじゃ終わらない、いや終われない、って思っているんじゃないかって。

私もやはり響鬼が完結する日を期待してやみません。

(HN、「すーさん」に敬称なしでOKです。(汗)
2006/01/18(水) 00:39:20 | URL | すーさん #a7gum4DI[ 編集]
自分の道はあると信じたいです
>特命課桜井さん

全然別な関係で話題になったことがあるのですが、特撮に限らず、テレビ番組を見る際に求めるものとして、「見るのになるべく時間をかけず」「さらっと見てもある程度ついていけるもので」「そこそこハラハラしたりホロッとしたりできて」「後々に残らないものがいい」という人たちがいるらしいのですね。統計を取ったりしたわけではないのでこっから先は100%私の邪推なのですが、そういう人たちが視聴者層の多くを占めているのだと仮定すれば、近年のドラマ等の傾向が、何となく説明がつくような気がしてしまうのです。

白倉さんはご自分のブログでも「マスを相手にする番組のあり様」についてかなり語られていまして、彼の作る作品に対する好き嫌いはさておいても、そこから読み取れる「制作サイドに生ずるであろうジレンマ」には目鱗な思いがしたものです。端的に言えば、「前期」響鬼のような、視聴者にもある種のストイックさを求める番組は、日本では既にマス向けに発信できる物語ではなくなっている、という推測も成り立つのではないかと。

私個人の感じ方では、誰それがいい・悪いという問題を超えたところに本件の根があるのではないかな、と思っています。もちろんだからと言って、個人には誰にも非がない、ということではないんですが(苦笑)、個人を糾弾しても、別なところに存在する問題は一向に解決されないだろうと思うのですよ。

それこそが、声を上げ続けていく理由なのだろうと、今は思っています。冒頭に挙げたような視聴者の傾向が少しなりとも変化していくように、自分がいいと思ったものに対しては躊躇せず賛美の声を上げ、制作サイドへの感謝の気持ちも折に触れ残していく。微々たることではありますが、そういうことを個々人が行なっていくことで、何かが変わってくる可能性を信じてみたいと思うんです。

>すーさん

三谷さんの脚本はいつも面白く見ております。こないだの古畑もかぶりつきで見ました(笑)。ラストを締める作品としてどうかと言うとやや微妙な判断になりますが、単一の作品として見れば今回も適度に張られた伏線やけれん味が実に心地よく、「本当に楽しませようと思って書いてるんだよなぁ…」という思いを新たにしましたです。

話が逸れましたが(笑)、すーさんが言われたような「俳優が出たいと思うような脚本を書く」という点も、彼の仕事への向き合い方としてすごくよくわかるんですよね。作品を見れば、そのことは十分にわかるとでも言いましょうか。作品に対する、そして作中の人物に対する思いみたいなものが無いと、ああはならないと思うんです。

ここのところ、細川さんの言葉が少しだけ表に出てきていましたが、本来ああいう言葉を役者さんに吐かせてはいけないです。作品に対する思いという部分で、俳優さんも全てのスタッフもつながっているのがあるべき姿なのに。そのどこかが「つながっていない」ということを、役者さんが感じてしまっては、作品そのものが成り立たなくなってしまうではありませんか。

「このままじゃ終わらない、いや終われない」という言葉、胸に沁みました。そんな想いがもしあるのなら、それを受けた何かの動きがあることに、私も期待したいと思います。来るかどうかはわからないその日に向かって、歩みを続けて参りましょう。
2006/01/18(水) 12:38:12 | URL | てりぃ #O8jQI81I[ 編集]
力強いコメントありがとうございます。
やっぱり、ネットであれなんであれ、声を上げることは大事だと思うんです。
今後間違いが起きないためにも。
2006/01/19(木) 06:32:33 | URL | 中島よしゆき #-[ 編集]
コメントありがとうございます。

> ああいう言葉を役者さんに吐かせてはいけないです。

まったくですね。
私も声を上げ続けて行きます。報われる日を信じて。
2006/01/19(木) 22:03:26 | URL | すーさん #a7gum4DI[ 編集]
中島よしゆきさん、すーさん、こんなに遅くなってしまってすいません。今さらですが簡単にお返事だけ。

テレビ朝日の細川さんのインタビューを読んで、「響鬼を支えてくれたファンの人たちに感謝」みたいなところを読んで、ああ、ひょっとしたら声を上げ続けたことがどこかに届いていたのかな、と思いました。気のせいかも知れませんけどね。でもそれが単なる気のせいだったとしても、やっぱり「自分が信じたことを信じて」声を上げていこうとは思っています。これからも、いつまでも。
2006/01/24(火) 23:45:04 | URL | てりぃ #O8jQI81I[ 編集]
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