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Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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アリのママとキリギリスのパパ。
 記事タイトルにはたいした意味がないのですが…「ハゲ」の替え歌を書いた記事がずっとトップにいるのに耐えられなくなったので(苦笑)、つらつらと思うところを書いてみる系の記事を一つ。

 ゲンブツを未だに見ていないので、作品そのものについて語る資格が自分には無いのですが、昨年も中盤あたりから、世の中は随分と「レリゴー」尽くしな感じでありました。まあ、作品を見ていないながらも、歌詞の言わんとするところぐらいは何となく自分にも漏れ聞こえて来るようになりまして、「みんな、そんなに『ありのまま』がええんかな。ほんまかいな」と訝しげに思っていたところ、やはり漏れ聞くところでは、あの歌は中盤あたりの歌なのだと。作品のストーリー上はアレは過渡的なものに過ぎず、終盤で大団円で終わるあたりでは、「ありのままの自分だけじゃダメだよね」という側面も見せながら終わるのだと、そう聞きました。ああ、そんなら、話はわかります。そりゃそうだよなぁと。ただ、そう思ってからも、世の中は相変わらず「レリゴー」尽くしで、お前らホントにわかっとるんかと、作品を見もしないで勝手にぶつくさ言ってた私なのですが。

 同じディズニー作品から類推しますに、このレリゴー、「アラジン」における「A Whole New World」と同等の流れに置かれている曲なんですよね。物語の中ほどにおける、何らかの閉鎖的状況に縛り付けられているお姫様の、解放の瞬間を高らかに歌い上げた曲。あれも当時は大ヒットいたしました。ただ、アナ雪の方が私の漏れ聞いている通りのストーリーで合っているのだとしたら、その歌の示すものは構造的にはアラジンとはまるで異なるわけです。「A Whole New World」がジャスミンがアラジンと出会うことで新しい世界が開け、そこへと進み出ていく歌であるのに対し、レリゴーの方はあるがままの自分となることを自ら喜ぶ、そういう歌です。「抑圧された自分」を解放して、「誰も自分に強要などしない、自分だけの世界」を目指す歌、とまで言ったら言いすぎでしょうか。
 
 アラジンの大構造は、ジャスミンがアラジンと出会うことで開きかけた新しい世界への扉が、ジャファーの陰謀のために暗く閉ざされそうになるところを、最後にはアラジンが打ち破って大団円、というあたりかと思います。そういう意味では、「アラジンがジャスミンの扉を開く」というテーマ自体は最初から最後まで、大きく変わっているわけではありません(中盤でアラジンとジャスミンがちょっと仲違いしそうになるところで揺らぎはしますが)。だから、「A Whole New World」が大ヒットしても、別に違和感は無かったんです(リア充の歌ゆえに何かムカつくのは別な話)。

 一方、アナ雪の方は、中盤では自分自身の解放が高らかに歌われるものの、終盤にかけては「でもやはり人とのつながりだって大事」的な方向へと舵が切り直されるわけです(くどいようですが、私が聞いているストーリーの通りなら、です)。それだと、まだ結論から遠いところにいる時点で歌われるレリゴーがことさらにヒットするのは、何か違う感じがしてしまいます。アラジンにおいてジャスミンの扉を開くのがアラジンとの出会いだったことを考えれば、アナ雪もエルサとアナの心の触れ合いがテーマになっているのは、ディズニー作品の「ぶれなさ」を感じさせてくれる好ましい点のはずなんですがね。

 まあ、見てもいない作品の中身について語るのははなはだ失礼ですから、そっちはそのくらいにしまして。

 作品と離れたところでも、「ありのままの自分」というのには、私は懐疑的です。いや、もちろん、「抑圧された自分」があっての、「抑圧されていない自分」への解放というのは、すごく大事だと思いますよ。だけど、それが「ありのままの自分」という言葉になった時点で、すごい違和感があります。だって、「ありのままの自分」て、一体どこからどこまでなのよ?

 中学生ぐらいの頃、その辺で随分と悩んだ記憶のある自分には、そこは看過できない部分なんです。当時の自分は随分と「優等生的」であろうとしていましたが、そのことで非難される事も多く、それが本当にいいことなのか、それとももっと刹那的に、ぶっちゃけてしまえば「自分の欲望のみに忠実に生きる」ような自分であった方がいいのか、それはもう長いこと、結論の出ない牢獄の中をぐるぐる、ぐるぐると回り続けるような日々を送っていたんです。そりゃ、自分の欲望のみに忠実に生きたっていいんでしょうけれど、自分の本心は、「そんな自分になりたくない」というところにあったもんだから、始末に終えないんです。そういう身からするとですね、「ありのままの自分」なんて言葉、随分と皮肉めいて聞こえちゃうんですよ。

 当時の自分が得た解決というのは、その場その場において自分がかぶる個々の「ペルソナ」を、それぞれに等しく、全面的に肯定しよう、というものだったと思います。汎用人型決戦兵器が出てくる有名アニメ風に言うと、「父としての自分、夫としての自分、オタクとしての自分。それらが常にせめぎあっているのがてりぃなのよ」という具合でしょうか。ありのままの自分というものはわからないけれど、世界とのかかわりにおいて「こうあろう」と思ったそれぞれの自分は、抑圧せずに解放してやるんだと、そういうことだったんですね。ありのままの自分がナンなのかはわからないけれど、関わる相手により振る舞い方を選択していこうとするこの自分は肯定してやろう、と。

 まあ、この手のものは「人それぞれ」なので、「やっぱりありのままの自分が大事なんだよ!」と言う人がいてもオッケーなのでしょうが。あまりに熱狂がすごいとですね、マイノリティ側に属することが多く、そのことで疎外感を覚えることが多かった身としては、やっぱりちょっと警戒心が働いちゃうのです。金科玉条のような生き方なんて、そんなガラガラポンで出てくるモンじゃあないでしょうし。

 まあ、ありのままでも何でもいいんですが、「人を抑圧する」のはカンベンな。悪意を持って抑圧するのは下の下ですが、抑圧している側がそのことに全く気付いてない事も多いんで(私自身を含めて、ね)、なるべく注意しながら生きたいものです。
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