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Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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捌け口の向かう先と負のスパイラル
 週末ダンシングも終えて(すんごい混んでて5時間で3クレしかできなかったけどorz)、本日は家でイエー!なわけでありますが、ちょっと心のアンテナに引っかかるような記事に触れましたので、もやもやと思った事を書き下してみたいと思います。

[雑記]ブログをやめさせない、たったひとつの冴えたやりかた
karimikarimiさま)


 なるほどなぁ、と思いつつ、読ませていただきました。自分の実感としても、うなづける部分がありますね。「反応の壁」と書かれているもの、すなわち「書いてても好評なのかどうなのか全然わからんから、更新する意欲がどんどん減退していくのぅ」なんて気持ちは、中小ブロガーが大なり小なり感じた事のある、よくあるものの典型例じゃないでしょうか。

 そしてまた、実際に攻撃されないとそのしんどさはわからないかもですが、「悪口の壁」の方もまた、ブロガーの意欲を激しく減退させるのは間違いないです。こちらの記事の中では、別なサイトの「ブロガーは粘着質な匿名の人と戦わなければならない」という記事が引用されてますが、もうこの一言で言い尽くされる気がします。想像できますか、「粘着質な匿名の人」。やっかいなんだわ、辛いんだわ。まあ、当方ではそういう方に対しては、一回はちゃんと応対するかもしれませんが、二回目からは無言で削除ですけどね(二回目のコメントで無言削除されてない方は、当ブログでは「粘着質な匿名の人」とは認識されていませんのでご安心ください(^^;)。や、普通のコメント返しもストップしている現状では何を書いても説得力ありませんですね、すみません。orz

 さて。

 自分が好きな個人ブログ(もしくはサイト)に対して、意欲を高めてもらうように「反応をする」のは、割と頑張りようがあります。拍手でもコメントでもいいですし、自分もブロガーなら記事を書いて紹介したりトラックバックしたっていいです。これは、現実に個人が行って効果が出せる、具体的な方法を思い付きますね(実際にそういう行動が推奨されるべきかどうかは、別な話だとしても、です)。ですが、自分が好きな個人ブログ(もしくはサイト)に対して、意欲を減じてしまわないように「悪口を減らす」ようにするのは…無理なんじゃないかな。自分が悪口を言わなくても、他の人が言うのは止めらんないもん。なぁ。これがやっかいなわけです。「粘着質な匿名の人」自体がやっかいですが、目に見える有効な対処方法がなかなかない、という意味でも実にやっかいなんです。
 
 ここで、対処方法の方はちょっと脇に置いて、「何でそんなにブログの悪口言う人が多いの」って方に思いを馳せてみました。

 一つには、これは私が書くまでも無く近年言われているようなことですが、「他者を攻撃することで憂さを晴らすこと、他者を自分より下に引きずり下ろすことで溜飲を下げることが当たり前のような、敗者を増やそうという動機が幅を利かす実に残念な時代になっている」という現実がありますよね。ちょっと騒動があって顛末を見に行くと、読んでるだけでどんどん自分の中の大事なものが削り取られていくような、正視に堪えない悲惨な叩きがあったりします。そこには「自分の主張を認めて欲しい」という前向きな思いなんか欠片も無くて、「とにかく文句言いたい」「理不尽な物言いでも叩きつけて引きずりおろしてやりたい」なんていう、目を覆いたくなるようなどす黒いものが渦巻いていたりするわけですよ。どうしてこうなった。こんな日本に誰がした。と言い出すとキリが無いので、今回そこは掘り下げませんが。

 そしてもう一つ。実のところ、ですよ。個人ブログ(もしくは個人サイト)というメディアが、それほど求められなくなっている、必要とされなくなっている、というのもあるんですよね。無くなっても困らないし、無くなってもそれほど問題視されないから、「叩きに叩いて、いっそ無くしてしまえ」という行動が横行するんじゃないかしら。

 個人ブログという枠組みが、全く無くなったら困る、という人、どのくらいいます?

 とりあえず、はい、挙手。私は、無くなったら困ります。もちろんそれは、自分自身が個人ブログの管理人だからというのもありますが、他の方のブログを読ませて頂いた時に私が得ているものが少なからずある以上、その枠組みが無くなったらと考えるだけで冷や汗が出ます。

 Twitter上でのつぶやく仕組みとも、FacebookなどのSNS内でつながる仕組みとも、ブログは異なる枠組みを持っています。一言で言うと、「一定の取り決め以外はすこぶる自由」なメディアなんですよね。文字数制限も無いし、外と中の違いも無い。どのブログとトラックバックを張ってもいいし、張らなくてもいい。記事によってパスワード付きの非公開にすることだってできます。この文脈とは少しずれますが、「このブロガーはお知り合いではありませんか?」なんていうウザいメールが来ることもないです(苦笑)。この独特な自由度の高さは、その内容にも反映されます。そこでは実に多様な情報発信が、ほぼオープンに行われるんですよ。これが、個人ブログの魅力の根幹だと私は思ってるんです。

 ところが、そういう「多様な情報発信を個々人がそれぞれに行うメディア」「オープンにいつでも繋がりに行けるメディア」というものを、世の中は次第に求めなくなっている、という気がするんですよ。それ以外で十分足りるから、ってことなんだろうけど…ホントにそうなんだろうか。

 私個人は、実に寂しいことだと思いますし、危ない兆候のような気さえします。ブログの持つ多様性・オープン性は、世界が持つ多様性・オープン性に裏打ちされたものだと思っていたので、それが必要とされてないって事実があるのだとしたら、それは何気に怖い話なんじゃないかと。

 「自分が必要としているもの以外は無くなっても構わない」という態度は、「自分が嫌いなものは叩きつぶしていい」という攻撃的な姿勢を、暗黙のうちに了承するものでもあります。この構図は、いじめが蔓延して収拾がつかない現状を見るに、子どもたちの心理にも重なる部分が大きいのではないでしょうか。やっぱり、世の中は全体としてそういう方向に向かってるんじゃないでしょうかね。もしそうだとすると、世界に多様性をもたらしていた細やかな要素たちは、ブログに限らずどんどん絶滅・縮小して行っちゃって、どんどん世界は単調な・均質な・硬直したものに変貌していくんじゃないかしら。

 そんな世の中、イヤじゃ。

 というわけで、私は「世界に多様性を幾ばくかでも残さん」という高邁な理想のもと、今日も元気にブログの記事を書くのであります(ぇー





 あまりの重さに耐えきれなくておちゃらけちゃいましたけど、多様性とオープン性がある程度以上担保される世の中であってほしい、という気持ちは本当ですよ。叩いてツブしちゃえ、なんてのは、下の下です。
楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。
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 数年前まではブログを書いていた人たちがことごとくやめている。うーん、これじゃ引用元が偏るのも仕方ないね。どうも一定量以上の文章をそれなりに定期的に書きつづけることは相...
2013/05/11(土) 12:41:26 | karimikarimi