少し前のエピソードになりますが。
氷菓の第十七話のレビューを、うんうん唸りながら書いている最中、どうしても結論が出せなかったことがありました。
それが、「摩耶花がハブられてた理由」です。
毎週、きちんと追いかけておられる方はお分かりの通り、この神高祭エピソードの中では、摩耶花が漫研の中でかなり孤立した状態に置かれていることが何度も描かれます。もちろん、個々のエピソードの中で、それらはちゃんと意味合いを持っていることが多いですし、無駄にはなっていないと思うのですが…でも、第十七話の中では、このパーツは一切フォローされないのですよ。これが心底驚きでした。私は、きっと何らかのフォローがなされるはずと思っていたもので。
もちろん、漫研の河内先輩との確執(?)については、きちんとしたフォローがなされています。だけど、同学年のボカロコスプレの連中とのあのイヤーな感じとか、ちょっとした嫌がらせのつもりが大幅に増幅されてしまって「私、そんなつもりじゃ…」とか宣っていた、あの絵筆を洗った汚水をぶっかけてしまった女の子との関係には、全く言及されないんです。
何故か。すんごく考えましたけど全然答えが出せず、ついに休みを終えてしまいそうな気配が見えてきたので、この部分については考えることを断念し、残りの部分だけでレビューを一本、どうにかこうにか書き上げました。明けて翌日(8月20日)。残業の最中に何かが閃いた私は
氷菓の第十七話のレビューを、うんうん唸りながら書いている最中、どうしても結論が出せなかったことがありました。
それが、「摩耶花がハブられてた理由」です。
毎週、きちんと追いかけておられる方はお分かりの通り、この神高祭エピソードの中では、摩耶花が漫研の中でかなり孤立した状態に置かれていることが何度も描かれます。もちろん、個々のエピソードの中で、それらはちゃんと意味合いを持っていることが多いですし、無駄にはなっていないと思うのですが…でも、第十七話の中では、このパーツは一切フォローされないのですよ。これが心底驚きでした。私は、きっと何らかのフォローがなされるはずと思っていたもので。
もちろん、漫研の河内先輩との確執(?)については、きちんとしたフォローがなされています。だけど、同学年のボカロコスプレの連中とのあのイヤーな感じとか、ちょっとした嫌がらせのつもりが大幅に増幅されてしまって「私、そんなつもりじゃ…」とか宣っていた、あの絵筆を洗った汚水をぶっかけてしまった女の子との関係には、全く言及されないんです。
何故か。すんごく考えましたけど全然答えが出せず、ついに休みを終えてしまいそうな気配が見えてきたので、この部分については考えることを断念し、残りの部分だけでレビューを一本、どうにかこうにか書き上げました。明けて翌日(8月20日)。残業の最中に何かが閃いた私は
あっ…………。
そういうことかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!
と、職場でまさか叫ぶわけにはいかないので、人知れず拳を握りしめて、はみ出し考察レビューでのリベンジを誓ったのでありました。まあ、その後一週間余りも、全然記事を書く暇が取れずにここまで来てしまったわけなんですけどね。
もったい付けずに本題に入りましょう。
この神高祭エピソードは、「期待」というテーマでラストを美しく締めくくっているわけですが、その他にもう一つ、裏で根付いているテーマがあると思われるのです。
それは、「力を合わせて何かを成すことの価値」なのではないでしょうか。
摩耶花が漫研で徹底してハブられ、孤立している様が描かれたのは、「摩耶花が漫研のフィールド内では、ともに力を合わせてモノを作り上げていくような、良好な関係を築ける仲間がいない状態にある」ことを描写しようとしたのではないでしょうか。これは、神高祭二日目の夜の摩耶花の独白「私のは百枚落ちる…」であるとか、自分の得意分野の持てる力を存分に発揮して一つの傑作を作り上げた三人組=安心院鐸玻との対比であるとか、その安心院鐸玻がバラバラになった結果として、傑作どころかモノづくり自体が出来なくなっている現状だとか、そういった部分と呼応する形になっています。摩耶花が百枚落ちるようなものしか書けないでいる背景には、あの漫研と言うフィールド内での彼女の境遇・環境が多分に影響している、つまり、「一人ぼっちの状態で出来ることには自ずと限界がある」という含みがあるわけです。
じゃあ、摩耶花が「ともに力を合わせてモノを作り上げていくような、良好な関係を築ける仲間がいる状態」に置かれた時、一体どこまでの力を発揮し、どれだけ輝けるのかと言えば…その一つの端的な例が、第十四話のあの「ワイルド・ファイア」であり、第十七話ラストシーンの「文集・氷菓の山、完売」なわけです。「期待」という表のキーワードだけだと全く本筋に絡むように思えないあの「ワイルド・ファイア」は、「力を合わせることの価値」という裏のテーマにおいては見事に大事な役割を担ってくるのですね。
あの第十七話の、笑顔のラストシーンは…「決していつも虚しいだけで終わるわけではない、期待というものの到達点」という表のテーマと、「力を合わせることで高め合えるものの価値の大きさ」という裏のテーマとが美しく昇華された、珠玉のエンディングなのではないでしょうか。
そんなことを思いつつ、一連の神高祭エピソードを見返すと、また新たな思いを持って見られそうな気がしますよね。私?ああ、当分は無理っぽいです…。orz でも、忙しい中でもこうして思いの丈を何とか記事にすることができましたので、いつかエピソードの反芻の方も是非やってみたいと思います。リアルタイム鑑賞時には感じなかった色んなところで涙腺に来ちゃいそうですけどね。まあ、壊れレビュアーとしては望むところ、でしょうか(苦笑)。
こんな記事でも皆さんの足しになればと言うことで、ここに置いておくことにします。
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