「見送られる者たち」からの、最後の「贈る言葉」を…。
時間はとても残酷です。留まることなく流れ続け、全てを「過去」に変えていきます。誰も、どんなに望んだとしても、気持ちの良い「今」に居座り続けることは叶いません。この得難い時間との別れはどうしようもなくやってくるし、大事な人とのひとときも過ぎ去っていく定めなのです…。
では。「今」の証を刻むことは詮無いことなのか、報われない行為なのか。そんなことはないのですよね。過ぎ去っていく定めなればこそ、人は「今」の証を刻むのです。輝いた時間が確かにあったのだと、自身でも反芻しながら、後に残る者らへ目に見える形で伝わっていくように願いながら…。
「言葉」の形となって表出した、最後に彼女らがする「先輩らしいこと」の向かう先。それは、一体どこへとつながっていくのでしょうか。多くの例がそうであるように、彼女らのこの願いもまた、幸せを紡ぎ続ける一つの「歴史」とならんことを。
時間はとても残酷です。留まることなく流れ続け、全てを「過去」に変えていきます。誰も、どんなに望んだとしても、気持ちの良い「今」に居座り続けることは叶いません。この得難い時間との別れはどうしようもなくやってくるし、大事な人とのひとときも過ぎ去っていく定めなのです…。
では。「今」の証を刻むことは詮無いことなのか、報われない行為なのか。そんなことはないのですよね。過ぎ去っていく定めなればこそ、人は「今」の証を刻むのです。輝いた時間が確かにあったのだと、自身でも反芻しながら、後に残る者らへ目に見える形で伝わっていくように願いながら…。
「言葉」の形となって表出した、最後に彼女らがする「先輩らしいこと」の向かう先。それは、一体どこへとつながっていくのでしょうか。多くの例がそうであるように、彼女らのこの願いもまた、幸せを紡ぎ続ける一つの「歴史」とならんことを。
~~~
私、最後になんか、先輩らしいことしたい!
どぐわはあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!
レビューの一本目でもおんなじように壊れたけど、やっぱしコレって何回見てもクるんだよ、色々と!!あの「天使にふれたよ」への展開をもう一度やるんだって感動とともにさ、TVシリーズでは必ずしも十分には描かれていなかった「卒業する4人が梓へ寄せる思い」が描かれていくんだってことがさ、このセリフ一本にギューッと圧縮されて、ドーンとこっちに伝わってくるわけじゃない?!
うん、わかってる!わかってるよ、4人が梓へ注ぐ愛情の深さは!表だってのおちゃらけとは別に、すごく大事にしているよね、それはわかってるんだ!だけどさ、「言わないとわからないこと」ってのもあるじゃん?言ってもらわないと、梓にはわかんないんだよね、そして、言ってもらうことで救われるものってたくさんあるんだよね!
未来に向かって送信したーっ!
ふんぐぬわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!
これもまたすんごくクるじゃないか!え?コない?何故ダッ!唯たちはあの得難い時間をともに過ごしてきて、それが去っていくことが悲しいことだ、寂しいことだとちゃんとわかってるはずなのに、それでも「未来」を目指すんだよ?!ああ、そうだよ、人はそうあるべきだと思うさ、そうあって然るべきだと!だけど!まだまだ「人の道」とか「生きる術」とかに向き合う必要までは求められない、ひょっとしたらモラトリアムな状況かもしれん女子高校生が、だよ?「それなりの方法で未来を見据えて進み続けているんだ」なんてことをこうやって示されてご覧よ、ほだされちゃうじゃないか、感極まっちゃうじゃないかあああああああっっ!!
……はぁ、はぁ、はぁ……。
これで「必ずしもクライマックスのシーンじゃない」って言うんだから、どうかしてるよね、この作品は。他にまだおっきな山場があるんだから。
…………どうも、けいおんレビューのみをご覧の方々とは、かなりのご無沙汰でございました。折悪しく、年度末の3月という時期に突入してしまい、3本目のレビューは何とか上げたものの、その続きは完全にストップしたまま、とうとうここまで完全放置を決め込んでしまいました。この体たらくは恥ずべきことだと自覚していますし、言い訳もなくただただ猛省するばかりです。
しかし。このままで終わってはいけない。ずっと抱き続けてきたその思いに突き動かされるようにして、この滑り込みのタイミングで最後のパーツを埋めていきたいと思います。ラストは「Y~唯たち卒業生編」ということで、唯たちのことに主なスポットを当てて参りたいと思います。また少々長くなりますが、よろしければどうぞ最後までお付き合いくださいませ。
なお、この記事は既に三本上げたレビュー記事に続くパーツのため、順番にお読みくださる方がベターと思われます。単体でお読みいただいても結構ですが、レビュー全体をくまなくご覧になる場合は、最初のパーツである映画 けいおん! #1から順にご覧になることをお勧めします。
【Yesterday and Tomorrow ~ 彼女らの過去、未来】
唯のイニシャル「Y」。決してねらったわけではないのでしょうけど、絶妙な文字だと思います。
一つには、YってYesterday(昨日)の頭文字なんですよね。昨日、すなわち過去のことになります。過去に行っちゃうのかどうか、劇中でやたらと気にしていた唯にぴったりじゃないですか。
また、梓のイニシャル「A」と合わせて、「from A to Y」とするとどうでしょう。「from A to Z」は、最初からおしまいまで全部、ってことになりますが、「from A to Y」だと、最後まではいかない。最初から最後近くまでは含まれているんだけど、まだ入っていない、これから先に来るものの余地が残っている、ということになります。
Yまで、最後のちょっと手前のところまで。そこには、「先」があることが漠然と香るんです。これで終わりじゃなくて、先があるんだよ、と。この先、すなわち「未来」ってことなんですよね。
私のこじつけも極まった感がありますが(苦笑)、唯のイニシャルに「過去」「未来」の両方につながる部分がある、なんていうのは、ちょっと素敵な解釈じゃないかしら?自分で言うな?いやごもっともw
唯「過去とか未来とか行っちゃったりして。」
ムギ「でも時間、戻るよ?」
唯「時間が戻るって…」
梓「地球の自転と反対方向にいくからじゃないですかね」
唯「逆回りすると、じかんがもどるの?
じゃあさ、ずっと逆回りしてたら、過去まで行っちゃう?」
ロンドンに旅立つ直前の、機中での唯たちの会話を、少し長めにピックアップしてみましたが…。先も触れたとおり「過去に行くこと」について、唯はすごくこだわってるんですよね。まあ、半分以上は唯の天然ゆえでしょうし、そんなにディープな意味は唯の中にはないんでしょうが…。
でも、「作品」の中にこういう描写を入れたことには、はっきりと意味が伴うはずです。どうして唯が「過去」にこだわる描写を入れたのか、そこには「描きたいもの」とリンクしている制作陣の何かが反映されているはずですから。ここで言われている「過去」「未来」とは、一体何なのでしょうかね?
ここは、色々な解釈の幅があると思います。見た人が感じた何かがあるなら、それぞれが正解なんだろう、とも思います。私には私の感じたことしかわからないので、私の感じたことをご紹介することにしますが…私はですね、ここで言ってる「過去」も「未来」も、この映画そのものじゃないかって思ったんですよ。そして「今」も。
一つには、この映画はTVシリーズでいったん終結した「唯たちの高校生活」を遡る形で、卒業時点から見た「過去」の出来事を描いています。そしてもう一つには、一本目のレビューでも書いたとおり、この映画はTVシリーズで描かれた内容のその先もちょっとだけ描写してるんですよね。だから、卒業時点から見た「未来」の描写もあるわけです。そして、それらを全てこの映画は「回想」の形も取らず「予想」としてでもなく、リアルタイムで進行する「今」としての描き方をしているんです。
そもそも「過去」と「未来」は、ともに「今」があるからこそ生じる言葉です。「今」がなければ、「過去」も「未来」も無い。「過去」や「未来」に触れることは、「今」というものを強く意識せざるを得ないのですよね。
つまりは、この映画もまたTVシリーズと同じく、彼女らの「今」を描く作品だったんじゃないかと、私は考えるんです。それは「もう一度」ではあるけれど、唯たちの「今」の描写なんですよ。だからこそ、「過去」「未来」という言葉を、あえてを唯に語らせて、間接的に「今」を意識させるような形にしているんじゃないでしょうか。
もっと具体的に、唯たちに即した例を出してみましょうか。
もしかして、私たち、先輩としての威厳がないまま卒業しちゃうんじゃないかなぁ。
私、最後になんか、先輩らしいことしたい!
唯にとっての、ひいては唯たち四人にとっての「過去」「未来」がこれです。
「先輩としての威厳」を示してこなかった過去。卒業までに「先輩らしいこと」をしたいという未来。でも、映画をご覧になった方はお分かりの通り、威厳のないのはいつものことですし、じゃあ先輩らしいことしてないのかと言うと、これまた常に彼女らは梓の先輩であり続けてるんですよね。本人たちがそうだと思っていないだけ、というのに近い感じ。過去も未来も、「今」と一緒なんです。
その、すごく大事なところに、明確な気付きをするのが、これ。
唯「いつもの私たちの曲でいいんだよね」
律「あら、今頃気付いたの?」
ムギ「私もそう思っていたわよ、唯ちゃん」
澪「私もとっくの昔に気付いていたぞ」
現状肯定、「今」の自分たちの肯定です。過去にはダメだった自分たちがすごい未来を実現する、という大仰なものではなくて、今の自分たち、ありのままでいいんだ、という。そもそも過去がダメだったわけじゃないわけだし、未来だってこの素晴らしい今の延長上にやってくるものなんですよね。
~~~
「今の肯定」が、「今のまま」を表すわけじゃないんだよ、という点にも触れておきますか。「唯たちの回らない話」とでも言えばいいのかしら。
延々と同じところを回っていてもダメ、というモチーフが、この映画の中ではいくつか見え隠れします。例えば、これ。
あずにゃんにゃんにゃんあずにゃんにゃんにゃん
「ねこふんじゃった」の節回しがぴったりはまる、このフレーズ。妙に小気味よくて、唯は何度もこれを口ずさんでしまうんです。でも、ここから離れられないうちは、梓へ贈る曲はなかなかできてきません。
続くこの部分も、同じことを示唆しています。
大きな大きな大きいなー…じゃなくて!
思いついた言葉を単に繰り返すだけでは、ダメなんです。発展する何かがなければ、先には進んでいきません。そして更に続く、この唯の言葉も。
リサイクリングオンリー!じゃなくて!
リサイクルするだけ=繰り返すだけじゃ、ダメなんです。初日の夜に回転寿司屋を出て澪が言っていた、この言葉もそうですね。
回るのはやっぱ良くないんだ…
ぐるぐる同じところを回ってるだけはダメ。先へ進まないと行けないんです。どうです、結構あるでしょう?どれもさりげない使い方なんですけど、言っていることは皆同じです。
「いちばんいっぱい」で歌われているように、一番はどこにでもたくさんあります。だけど、同じ一番をずっと繰り返して、ぐるぐる回っているだけではダメで。新しい一番を探しに行って、先へ進んでいかないとダメなんですよ。
唯たちの輝いた高校生活もまた、そのままを延々と繰り返していくことはできません。次へ向かって、進んでいかないといけないんです。それは「今」を積み上げていった先にある、更に大きな「今」ということなんでしょうね。
~~~
もう一つ。彼女らにはまだ先がある、未来があるってことを、暗に言っているかもしれない部分を。
あれだけ事前に盛り上がっていたのに、唯たちは本場ロンドンでお茶をすることができずに帰ってきました。どうです、この微妙な残念感。彼女ららしいですよね、イケてない感じというか、至りきれてない感じというか。そう言えば、あんなに食べたがっていた焼そばを、ムギはロンドンでも食べられずに帰ってきてるんですよね。
お茶、させてあげればいいのに。せっかくのお祭り=映画なんだから。
焼きそば、食べさせてあげればいいのに。せっかくのお祭り=映画なんだから。
正直、そう思わなくもありません。でも、そうはしなかったんですよね、スタッフは。何故かしら?この微妙な残念感を、TVシリーズと同じく描写しきるため?
では仮に、お茶ができたとしましょう。或いは、ムギが焼そばを食べられた、でもいいです。すると、こんなセリフが出てくるのではないですかね?
やっと夢が叶ったわ。これで思い残すことはありません。
終わっちゃったよ!THE ENDだよ!それでいいのか、あずにゃんへのプレゼントも作らずに!
夢が叶ったら、そこで終わってしまうんですよね。先へと進む力が、ちょっと減じてしまいかねません。だけど、夢は全て叶ったわけではなかった。微妙な、でも大事なやり残しがまだある。そのままにはしておけない、また来なくちゃ!ほら、未来へ進んでいけるでしょ?
なお、上記のセリフ、何となく覚えがありますよね?二期第10話「先生!」の中で、「廊下に立たされる」という夢が叶った時のムギのセリフからの引用でした。
機中で梓が唯に答えて言ったように、誰も過去には戻れませんし、特に言及されていませんが自由に未来へ行くこともできません。だけど、「今」は厳然とあって、それが過去になっていく、そして「未来」へとつながっていく。「今」が流れて「過去」となったたくさんの楽しかったこと、いっぱいの一番を反芻しつつも、唯たちは「未来に向かって送信」していくわけです。
【Yell ~ 同じ高みへ】
だって私ー、もう先輩じゃ、ないんだよー
ないんだよー
(ないんだよー)
梓が旅行中に繰り返し見る夢の中で、唯は勝手に留年させられて、先輩じゃなくなってしまいます。先輩じゃなかったら一体何なんだろう、唯は先輩で、先輩以外の何かであることが想像できなくて…とまあ、その辺は三本目のレビューにも色々書きましたので割愛しまして。
上記は「梓視点」での話です。じゃあ、唯たちにとってはどうなんだろう?梓は唯たちにとってどういう存在なんだろう?と問うてみましょうか。答えはTVシリーズにもこの映画の中にもあちこちに散りばめられていますよね。
一緒に行きたいよー、
あずにゃんがいないと「けいおんぶ」じゃないよー。
仲間ってのがしっくり来る、そういう存在が梓なんですよね。ラストでは「天使」にまでなってしまうわけですが、それはちょっと脇に置いておいて。少なくとも四人にとって、梓は決して目下ではなく、同列に位置付けられているのがすごく大事な気がするんです。4+1ではなく、イーブンな5として。1年先に卒業はしちゃうけど、それはたまたまの巡り合わせなだけで、本質的には自分たちと変わらぬ一人の仲間として。
梓は唯たちにとって、上とか下とかではなく、同じ高さに位置付けられているわけです。
映画の中では他にも、「同じ高さ」ってモチーフに触れてる部分がありますよね。例えば、帰国後の教室ライブの唯の行動とか。
彼女は最後のサビの繰り返しで、机の上から観客側にダイブします。「ありったけのありがとうを」、観客と同じ位置で、同じ目線で伝えているんですよね。そしてこれは、机の上の仲間たちへのメッセージとして読んでも不都合がなく出来ています。律に、澪に、ムギに、そして梓に。ここでもまた、梓は同級生と変わらぬ「同じ高み」にいる存在とみなされています。
唯たちが梓に向けるその思いは、同じ高みたる「仲間」への感情なんですよね。可愛い後輩、というのも間違ってはいないのでしょうけど、それよりも一回り、二回り、いやもっとかな…とにかく大きな括りの何かがあって。その思いを梓に伝える一大イベントが、この映画の終盤にかけての展開なんです。
ところで「高み」と言えば、前回の記事でも触れたとおり、この映画の中では非常に多くの「空の高み」につながるカットがあるのですが…。
~~~
「空」というものについて、この映画の中で触れられている部分を、登場順におさらいしてみます。
一つ。OPの映像の中で、唯たち四人が上を見上げるカットがあります。彼女らは何かを「上」に見ているはずなんですが、何を見ているかはどこにも語られません。
一つ。この映画自体が「海外旅行」を主要モチーフの一つにしています。彼女らは飛行機に乗って=空の高みを通って「過去」へいったん赴いた後、同じ高みを通って「未来」へ向かっているんですね。
一つ。ロンドンでの二回目の演奏は、野外で行われます。何で唯たちが屋外ステージなのかと言えば、それは「空が見えるから」以外に考えられないと思うんですよ。そしてこのイベントでの演奏中には、もうこれでもかというくらいたくさんの「空」の描写があるんです。飛行機雲とか、飛んでいく飛行機とか、飛び立つハトとか、最後には交差する飛行機雲、なんてのもあります。飛行機雲は誰かが通って行った「軌跡」を、飛んでいく飛行機や飛び立つハトは現在進行形で前へと進んでいく姿を表しますし、交差する飛行機雲は「複数の軌跡の交わり」ということで、まるで唯たちがこの高校生活で出会って何かを残した様、みたいに捉えることだって可能なわけですよ。
…どうでしょうか。最初は曖昧だったイメージが、映画の進行につれて次第に情報を積み上げていき、明確なメッセージ性を形作っていっているように私には思えるんです。
その極め付けが、最後近くに来るんですよ…。
~~~
卒業式を終えた後、部室へ向かう唯に律が呼びかけます。
開いていた屋上。これは「空に向けて開かれたフィールド」です。学校の中なんだけど、表に向かって開放された部分でもあって。今まさに卒業していこうという唯たちに、これ以上ピッタリな場所はないでしょう。空=表は、彼女らの進むべき未来。まだ、辛うじて高校生としての「今」にいる唯たちが、これから旅立っていく未来と一番近いところに、言わば境界線上に立っているのがこのシーンなんです。
…そんな場所で!
……唯は、四人は叫ぶんだよ!
うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
ああもう!ああもう、言葉になんね!言葉にナンかなんねぇよ!言葉にしちゃったら一瞬でウソになっちゃいそうな感情が、ズドンと打ち込まれる彼女らへの共感が、どうしようもなく胸を揺さぶるんだよ、感極まっちゃうんだよ!
あとほんの少しで終わっちゃう、高校生としての「今」を、絞り出すようなこの叫び…何度見てもたまんないですねぇ…。
この後、四人は梓へのプレゼントを前に、すごく緊張していることを語り合います。いつもあったかいはずのムギの手が、とても冷たくなるほどに…その刹那、強い風が吹きます。唯は鳥の羽音に気付いて空を見上げるのですが…。
その時、手紙を書いていた梓も、手を止めてその空を見るんです。
先輩たちが見上げている空と、同じ空を。
「同じ空を見上げて」!!
あごがぐぎごげぶああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
何度めの鑑賞でしたか、これに気付いた時にはホントにヤバかった!だってこれ、「天使にふれたよ」の歌詞そのまんまでしょお?!「同じ空見上げてユニゾンで歌おう」ってことなんだよ、つまり唯たち四人と梓はこの時、同じ空見上げて、ユニゾンで歌ってる=同じ気持ちでいるってことなんだよ!!劇場の中で嗚咽漏れちゃうだろぉが、泣き崩れちゃうだろぉが、そんなことしたら!!グッジョブすぎる!!
彼女らが、同じ気持ちで見上げた空。そこには飛び立つ鳥、そしてそれと重なる飛行機雲がありました。
飛行機雲は「誰かの通った軌跡」を、飛び立つ鳥は「今まさに前に進んでいる者」を、それぞれ象徴しているのだと思います。つまり、飛行機雲は「三年間を歩み終えた卒業生四人の軌跡」を、翼広げて飛ぶ鳥は「現在進行形で高校生を歩み続ける梓の今」を、それぞれ表しているのだと解釈できます。今よりほんの少し先の未来、すぐにやってくる現実の姿です。でも。
その二つが、同じ空で重なっている。
つまりこの二つは、同じ高みにいる、ってことなんですよね。
天使にふれたよの最後の歌詞、「ずっと永遠に一緒だよ」までフォローする、実に濃いカットなんです。
唯たち四人と梓が互いに同じ高みにいて、同じ空を見上げて、同じ気持ちを共有している…そう思って見ると、これに続く会話がまたたまりません。
唯「この曲も、あずにゃんの羽になるかなぁ。」
律「なる!…と思いたい。」
ムギ「なるわ!たくさんつめこんだもの、
あずさちゃんのへの気持ち、いーっぱい!」
彼女らには、答えは見えていません。でも、銀幕を見ている僕らには、もう手に取るようにわかるんですよね。だって、同じ高みにいて、同じ気持ちを抱いているんだもん。梓が唯たちの羽になったように、唯たちも当然、梓の羽になるんです。また唯たちがたくさんの気持ちを梓に詰め込んだように、梓も先輩たちへの気持ちをいっぱい抱いているんです。彼女らが詰め込んだ気持ちは、「天使にふれたよ」の演奏中の映像~梓への思いを込めた四人のシーン集で見てとれますが、これを同じくらいの気持ちを梓もまた抱いているのだと思うと、それだけでグッときます。
澪「気に入ってくれるといいな。」
ムギ「お茶にしよっか」
唯「…うん」(空を見上げながら)
空を…この少し先に来る未来を気にしながら、唯は最後のお茶に向かうんです。
【Yet Singing ~ 今もずっと】
この映画の中で唯一TVシリーズと同じ時間が、しかし別な角度から描かれた、「天使にふれたよ」の演奏を終えて。
TVシリーズのラストよりちょっとだけ先を行った、彼女らの最後の下校シーンが描かれて。
「(来年もあずにゃんと旅行に)行こうよ」と呼びかける唯の言葉で、彼女らの未来がまだまだ先にも楽しく続いていくことが示されて。
万感の思いを乗せて、ED曲「Singing!」が流れます。これまでのTVシリーズのED曲がそうだったように、本来の彼女たちよりもクールでワイルドな曲想とPVで。でも、何よりもまず、映像が流れ始める前の、あの音に驚きました。
ギターの、何となく聞きおぼえがあるようなリズムのカッティング。
………このリズムは!
「ふわふわ時間」のイントロのリズムと、ほとんど一緒じゃないか!!
「裏・ふわふわ時間」じゃないのかこれは!!
いやー。「終わった」と思ったのにまだこんなモノを仕込んであるとか…どういうことなんすか、ホントに。
何故この曲を「ふわふわ時間」に結び付けられるようなものにしてきたのか、それを考えると色々なものが全部つながるんですよ。だって、一期も二期もこの映画も、「けいおん」は彼女たちのその時その時の「今」というものを、丹念に描こうとした作品だったから。ふわふわ時間は彼女らの輝いたその「今」の代表格ですし、その裏側が「Singing!」=「(今も)歌い続ける」だというのは、出来過ぎにも程があるってもんです。
だから、Singing!の後に表・ふわふわ時間が来ても、それは当然の運びなんだよね。どっちも彼女らの「今」を表す歌なんだもん。同じように、歌い続けていくんだよ。唯も。律も。澪も。ムギも。そして梓も。
涙に暮れるお別れと、永遠のサヨナラなんてものではなく。
しばしのお別れはあるけど、これからもずっと一緒の同じ高みにあり。
今よりもっと広がるこれからの「今」を、彼女らが未来に向かって紡いでいくという、得難いハッピーエンドを残して、けいおんは大団円を迎えました。
…………………………ぶっ
ブラボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
ありがとうございました!どのキャラが可愛かったとかももちろんのこと、ここまでがっつりと描ききってくださったことに、諸手を挙げて喝采を送ります!レビューがここまで難産だったことには引き続き猛省の日々を過ごしますが、それでもこの感謝の気持ちは止めようがありません!
この作品に関わってくださった全ての方に、遅まきながらの感謝のしるしをここに示して。私自身も「未来」へと向かっていきたいと思います。ここまで拙文にお付き合いくださった皆様も、どうもありがとうございました。また、別な機会にも、よろしければお付き合いください。
お☆し☆ま☆い。
↑楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。
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