それが例え誰であろうとも。概ね人の生きる道というものは、正解が見えないパズルのようなものです。
自分に解ることは、ほんの一握り。
何が起きているのか、何の意味があるのか。問いはいくらでも湧いてきますが、大抵、いくら考えても正解は解りませんし、誰も正解を教えてくれません。
それでも、極々稀に、ではありますが…正解らしきものが解る時もあります。ある人は直接、誰かからそう告げられて。またある人は何かのタイミングで、そうと解る出来事に巡り会えて。そんな時は、自分を疑問で縛り付けていた数々のピースが整然と並び、全てが美しく繋がって、一本の道へと導いてくれたりもするのです。
それはもしかしたら、唯一無二の正解では無いかもしれません。でも、僕らはそこに「運命」のようなものを感じたりします。だってほら、その先には、ちゃんと来たるべき未来が見えるんだもの。だから、感動とともに願いましょう。もし叶うなら、このUnmeiが、行く先々でもEndlessに繋がっていきますように、と。
自分に解ることは、ほんの一握り。
何が起きているのか、何の意味があるのか。問いはいくらでも湧いてきますが、大抵、いくら考えても正解は解りませんし、誰も正解を教えてくれません。
それでも、極々稀に、ではありますが…正解らしきものが解る時もあります。ある人は直接、誰かからそう告げられて。またある人は何かのタイミングで、そうと解る出来事に巡り会えて。そんな時は、自分を疑問で縛り付けていた数々のピースが整然と並び、全てが美しく繋がって、一本の道へと導いてくれたりもするのです。
それはもしかしたら、唯一無二の正解では無いかもしれません。でも、僕らはそこに「運命」のようなものを感じたりします。だってほら、その先には、ちゃんと来たるべき未来が見えるんだもの。だから、感動とともに願いましょう。もし叶うなら、このUnmeiが、行く先々でもEndlessに繋がっていきますように、と。
~~~
前回の記事アップから、早一ヶ月半あまり。時は既に、三月下旬…。
…いやもう、何とお詫びしてよいやら。orz 一部地域ではリアルで卒業式とかもう終わってるところもありますし。この映画も興行収入17億円越えとか言われつつ、上映終了となる地域も増えてきましたし。それなのにお前はナニやってんだよって言われても、全く返す言葉もございません。申し訳ないです、はい。
でも。ようやっとここまで来ました。来れました。
…いよいよ!いよいよなんですよ!私の、OPフェチのOPフェチたる所以を存分に示すべき時がやってきたんですよ!ああ、ホントに書きたかったんです。この映画のアバンとOPについては、もうどこまでもテッテ的に心行くまで!…でも、レビュー全体をどうまとめるか考えた時に、やっぱしどうしても「全体の枠組み」「TVシリーズとの個々のリンク」を最初に語り終えておかないといけない気がして、そっちが終わるまではと、悶々としながら書くのを我慢していたんです。
…長かった。
ホントに長かった!ここまで長くかかったのは他ならぬ自分のせいなんですけど、それはとりあえずさておいて!ようやくやってきたんですよ、存分に思いの丈を吐き出せるこの日が!
さあ、行ってやろうじゃないか!京アニがこの作品にかけた全てが詰まっていると思われる、アバンとOPのお話を!!
というわけで。
三本目の映画 けいおんレビュー、行かせていただきます。今回はあえて副題を付けるなら「A~梓編」となるべきところなんですが、その前にアバンとOPについて語らせていただくことにします。やや暑苦しくはなりますが(^^;、お付き合い下さいませ。
~~~
京アニのアバンには、全てが詰まっています。
改め。
京アニのアバンとOPには、全てが詰まっています。
初回鑑賞時には何となく見進めてしまった、この映画のアバンとOPでしたが…何ともまぁ、二度三度と見返す度に新たな発見がある、そういうシロモノでございました。既に二本目のレビューでも語りましたように、「導入部分が一期#1の冒頭とクリソツ」というのもそうですが…例によってこの部分、映画全体のテーマになってそうなところをあらかじめ、色々と匂わせていたりするんですね。
しかし、そうとわかってからがまた難物でして。色々と匂わせているのはわかっても、それをどうまとめていいかが、中々定まりません。そもそも、この映画の「テーマ」っぽいものって一体なんだろう、とか考え出すと、これが実に多岐に渡っていて、どんどん膨らんでしまって、全然一つにまとまりません。いやーまーレビュアー殺しというべきかジャスイスト泣かせというべきか、とんでもないですね、毎度のことながら!…いやいや、そんなこと言ってても始まらないんで、何とか無理矢理、アバンとOPに流れているものを「大きな三つの括り」にまとめて、話を進めてみます。
【avant1 - 梓と唯たちをつなぐWA(輪)】
一番わかりやすいところから行きますか。これは「けいおん!」というシリーズ自体を流れるテーマとも言えるので、今更ではありますが…この映画もまた、放課後ティータイムの5人のつながりを緩く描き出していく、そういうお話の一つです。5人のつながりの中でもこの映画では特に、「梓」と「唯たち4人」との関係を中心にフォーカスがまとめられており、その間で「温かく受け渡されて行くもの」に重点が置かれているように見えますね。アバンやOPでも、そこに結びつくモチーフが何度か、顔を出します。
前回のレビュー記事でも触れたように、この映画の一番最初のカット~先輩4人が梓へ贈った(と思われる)チョコケーキを囲んでの記念写真辺りがそうですし。
デスデビルごっこで使っていた曲「光」が、ラストで明かされるように、実はデスデビルが後輩に贈った曲だったと、唯たちの「天使にふれたよ」のプレゼントと同様の思いを抱く曲だったというところなんかもそうですし。
その、一見単なる茶番にしか見えないデスデビルごっこ自体も、実は「唯たちが仕掛ける、梓に対しての内緒のイベント&サプライズ」という点で、ラストの展開を暗示していたりしますし。
…これらは全部、アバンの中のパーツですね。OPにはそれを匂わせる部分はないのかしら。…そうですね、少なくとも直接の描写は見当たりません。無さそうなんですよ、ちょっと見には。でも、何度目の鑑賞だったか…あっ?!て気付いた時、不覚にもあたしゃ泣きそうになりました。
OPの映像の中で、作中の登場人物ではなく、イラストが流れるカットが何度か出てくるじゃないですか。学校が描かれてたり、お日様が描かれてたり、何故だかお化けも出てきてたな…あのカットの画面構成、どんなだったか覚えてますか?画面の中にいくつか、窓のような丸が切り取られていて、そこからイラストで描かれた世界が見える、そういう構図になっているんですが…。
この窓のような丸。「5つ」なんですよ。しかも、画面の中央に1つ、大きな窓が開いていて、それを囲むように小さめの窓が、4つ。
…これ、「梓を中心に囲む唯たち4人」という構図そのまんまじゃないですか!!
冒頭のチョコケーキの記念写真と、実は同じものなんじゃないか?!しかも丸の大きさはそのまま、「唯たち4人にとっての梓の大切さ」まで表してたりしないか?!なんてことするんだよ!!グッジョブすぎるじゃないか相変わらず!!
…これだから京アニ信者はたまんないんですよね…ホント、どんなシーンであっても予断を許さないと言いますか、全く気が抜けないのです。この「丸」は、「円」でもあり、「縁」でもあり。「輪」と読めば、「wa」にも繋がりますから、挿入歌のタイトル「Unmei♪wa♪Endless!」の中の「wa」とも関連があるようにさえ思えて、なかなか楽しみ甲斐がありますね。
あれ?…そっか、これ、「挿入歌」なんだよな…。
【avant2 - 自分らしくあること ~ Identity】
買いましたか、OP曲のCD。え、あ、いや、レンタルでも別にいいんですが、とにかく聞いてみましたか?変じゃなかったですか?いやいや、音じゃなくて、曲順が。何故に挿入歌が1曲目で、OPが2曲目になってるんだって、そう思いませんでした?そうなんですよね、OPの「いちばんいっぱい」は、カップリング扱いさながらの2曲目に収録されてるんです。普通はこうはならんですよね。
これ、元々は1曲目の「Unmei♪wa♪Endless!」の方がOP曲として作られたんじゃないだろうか…私はそう思ってます。アップテンポで元気でちょっと歌詞があふれ気味で…曲調は明らかにこっちの方が一期OP「Cagayake!GIRLS」、二期前期OP「GO!GO!MANIAC」、二期後期OP「Utauyo!!MIRACLE」に続く系譜ですもん。対して実際にOPに採用された「いちばんいっぱい」の方は…非常にゆったりしたテンポで、これはこれでけいおんの雰囲気にはよく合っていますが、その他のTVシリーズのOP曲とは著しく雰囲気が異なります。しかも、けいおんのOPやEDとしては異例中の異例、この曲はストリングやトランペット、サックスが入っていて、「バンド形態ではそのまま演奏ができないアレンジ」なんです。
OP曲は、いくつかの候補を出した中から決められたそうです(映画のパンフレットより)。それ以上のことは、どうしても推測の域を出ないんですが…「Unmei♪wa♪Endless!」だってOPの候補だったんじゃないですかね。しかも、TVシリーズのOPと同じ系譜の曲ですから、結構優先順位、高かったんじゃないのかな。それを、何らかの意図があって、あえて「いちばん~」の方をOPとするよう、番狂わせと言いますか、思い切った決断があったんじゃないか、と私は邪推してみています。じゃあその「何らかの意図って何だろう」ということが気になるわけですよ。もちろん、世の中的にはオトナの事情みたいなものもあったりしますが、ここで考えたいのはあくまで、作品的な事情の方です。「いちばん~」の方が、映画で描きたいものによりよくマッチするから…というような、描写すべきものに即した事情を考えてみたいわけです。
私たちの絆はずっと続くよ…そういう意味合いを滲ませる「Unmei~」だって、先のテーマとはばっちり合うんですよね。でも、そちらではなく、「いちばん~」の方を採用したからには、他にも描きたいテーマがあって、OPではそちらを優先した、ということになるんじゃないでしょうか。
~~~
だから一番を探しに 出逢いに行こうよ
OP曲のサビの歌詞ですね。そして、これと対になる形で、曲の最後の方ではすごく印象に残るこんな歌詞が紡がれます。
一番はひとつじゃない
一番を探しに出逢いにいこうと呼びかけて。でもその後で改めて、一番はひとつじゃないよと。外の世界で一番を探した結果、楽しいことがみんな代わりのない一番なんだよと、そう気付くような歌になっています。
そう言えば映画の中で唯たちは、海外へと、梓への贈り物のための「一番」を探しに行っています。ワールドワイドな、スケールの大きな、そういう何かを求めて。それを梓へのプレゼントに反映させて、「これ以上はない一番」を、「今までにないすごいもの」を作ろうと思ってたんです。
でも、実際に彼女らが行ってみて最後に気付いたことは「楽しいことはみんな一番なんだ」ってことでした。だから、ロンドンを去る直前のタクシーの中で、唯はこんなことを言うんです。
いつもの私たちの曲でいいんだよね。
ありのままで、いい。いつもの自分たちでいて、それが十分一番なんだ。そこに彼女らがたどり着くための、或いは改めて彼女らが再認識するための行程の一つとして、海外旅行は配置されています。
このOP曲「いちばんいっぱい」は、この展開を前もって示すために、投入されたように思えるんです。
この「いつもの自分たちも、たくさんある一番のうちのひとつ」という部分は、アバンにおいてもちゃんと匂わされていると思います。あの茶番=デスデビルごっこがそうだと思うんですよ。あれは、確かに茶番ではありますが、内容は自分たちのアイデンティティを問うやりとりなんですよね。もう少し突っ込んでみるならば…。
一度はやってみたいじゃん、音楽的な対立ってゆーの。
元々、放課後ティータイムの5人はそれぞれの個性を持っていて、誰かのために自分を曲げたり、変えたりはしていません。素のままなんだけど、それでお互いの居心地いい距離が計れているし、それが5人とも好きで楽しいんです。それぞれが、それぞれに「たくさんある一番のうちのひとつ」であることを、ちゃんと認め合えている、とも言えますね。でもそれだと「音楽的な対立」なんかは起き得ないので、あえてやってみてるんです。
つまり、「そのままの自分たちでいい」ってことを、あらかじめ言ってるんですよね、あの茶番は。
だからでしょうか、OPの映像の中では、過去の彼女らの姿~これらもまた「たくさんある一番」として~も描かれます。先にも触れた「一番はひとつじゃない」の歌詞のところで、いきなり夏服やジャージ姿の4人が描かれるんですね。どれも一番だったよと、まるでそう言いたげに。
それぞれの「違い」はあるけど「対立」はない彼女らは、とっくにお互いの個性を認め合っていますから、その「違い」を理由に別れるようなことはありません。でも、彼女らにも「別れ」はやってくるんですよね。それをもたらすのは「対立」ではなく、時間の流れによってやってくる「未来」なのですが…。
【avant3 - 同じ高みへ ~ Sky High】
「同じ高みへ」…だいぶ前から当ブログの京アニ作品レビューに親しんで下さっている方々(いつもありがとうございます)なら、この言葉には覚えがあるかもしれません。CLANNADという作品において一つの大きなキーになった言葉であり、その元となったBGMのタイトルですね。
そして、その後に私がくっつけた英語は言わずもがな、唯がアバンでも叫んでいる、曲ラストのシャウトです。
Sky High!
ナニがSky Highだ!と、ロンドンのイベントライブの後には律からも突っ込まれていますが、実はこれ、僕らも改めて問うてみる必要がありそうなんですよ。何がSky Highなんだ?とね。…え、単純に唯の物真似だろうって?元になってるデスデビルの「光」のシャウトを、カッコイイと思って真似しているんだろう、と?いやいや、私もCD買って愕然としたんですがね、オリジナルの「光」のシャウトはね、「Sky High!」じゃないんですわ。
No scare 'n' hide!!
な…なんだこれー!!スカイでもなければハイでもないよ!「ビクビクしたり隠れたりすんじゃねぇ!」ってシャウトだよ、全然違うよ!根っこから意味違いすぎだよ!
でも唯は、あのデスデビルごっこでは間違いなく「Sky High!」と叫んでいます。単にヒアリングが出来なくて間違えてるだけ?そうですね、キャラクターの行動としてはそんなところでしょう。でも、作品としてはどうでしょう。わざわざ唯に言い間違いさせて、しかも後になってもう一回同じ叫びをさせているんですよ?何か、この「Sky High」って言葉に、意味を込めてそうじゃないですか?
「空高く」。何が「空高く」なんだろう?
そう思いながら映画の本編を改めて見ていくと、やたらと「空」を意識したカットが数多く挿入されているのに気付きます。私、何回かは数えようとしてみたんですが、ついつい途中で忘れて見入ってしまって、結局「何回空を映すカットがあるのか」は正確にはわかりませんでした。でも、十回では利かない数の「空を映すカット」が、映画の本編には出てくるんですよ。鳥が飛んでたり、飛行機が飛んでたり、飛行機雲が残ってたり、色々なんですが、どれも「空の高さ」をあえて映像として切り取ってるように思えます。
アバンで、わざわざ唯が叫び間違える「Sky High!」=「空高く」。そして、本編中で何度も繰り返し出てくる、「空の高さ」を意識させるカット。…これだけだと少々、「つながり」を主張するのは厳しいかもしれません。でも、もう一つ。OPにもあるんですよ、ここにつながると思われるカットが。それは、Cメロ~この歌詞に入るところです。
ああ(See you, Good-bye)また出逢って(Hello)…
あずにゃんの手を取って後ろ向きに器用に歩いていた唯がくるりと振り返り、突然何かを思い出したように両手を頬に当てて空を見上げます。それにつられて、上を見上げるその他の4人の姿が…。
彼女ら、「上」に、一体何を見ているんでしょうか。
答えは…無いんですよね、この映画のどこにも。歌詞の中にも「空や上に何かがある」ことを匂わせるような部分はないですし、映像的にも、このカットを継いで何かを語ってくれる部分は見当たりません。言わば、やりっぱなしの投げっぱなしジャーマンです。ヒントなしですよ、ええ。唯一、先まで述べてきた、「空の高み」と結びつけること以外には。
やはり、何かテーマを含んでいると思うんですね、ここは。この映画は「空の高み」という部分について、何やら言いたげなことがあるんじゃないか、と。それが一体何なのかは…ごめんなさい、次のレビューのための大事な大事なネタなので(こればっか…)、ここでは詳細に触れることは控えさせていただきたいのですが…。
さすがにそれだけだとナニなので、少しだけ。「空」には多分、彼女らの「未来」があります。OPのこの部分の「手放して~また出逢って」という歌詞にある通り、お別れや出逢いを含む、彼女らの未来が。OPで上空を見上げるシーンの唯は、これから彼女らにやってくる「未来」に何かを気付いているんじゃないかと、そして唯を追って上空を見上げるその他の4人にもまた、未来は巡ってくるんじゃないか、という風に、私は解釈しています。
何故「空の高み」が「彼女らの未来」だと言えるのかは次のレビューに譲りますが…一つ目のレビューでお話した通りこの映画は、けいおんシリーズで彼女らが辿ってきた過去を振り返りながらも、その先の未来への方向も示してみせる、そういう映画です。だから、この解釈でもちゃんとつながると思うんですよね。そうなんですよ、放課後ティータイムの5人は皆、ちゃんと未来に進んでいきますし、その行く先である空の高さは、5人とも「同じ高み」まで達していることを示しているように見えるんです。
でも、今は…「未来」ではなく、「現在」もしくは「過去」に縛られているかのような一人の少女に目を向けてみましょうか。アバンとOPの話はここまで。いよいよ本題です(長い前フリだな…)。
【A~梓】
桜軽音部の二年生・中野梓は、先輩たちが大好きで、卒業してしまうことが悲しいと思っていて、でもそのことをほとんど外に出さず、自分自身もその封じた気持ちに気付いていない(もしくはあえて見ないようにしている)、そういう女の子として描かれてきました。TVシリーズ二期でも繰り返し描かれてきましたし、これまで二本上げた私の映画レビューでもおさらいしてきたとおりですね。
そしてこの映画でも、OPのすぐ後のシーンで、そこにつながる描写がなされているんですが、気付きましたか?茶番劇の反省会を少しだけやって、紅茶で5人で乾杯して、そこにさわちゃんが乱入してきた後のところ。さわちゃんが、唯たちの「卒業」に触れたところなんですが…。
梓、さわちゃんの口から「唯ちゃんたちが卒業だなんて」という言葉が出たとたん、誰知ることなく、すっと顔を伏せるんですよね。それも、ほんのわずかに。
あああああああああああああああああああ、もおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
なんつーことを!!ほんに、なんつーことを!!いや、そうなんだよね、梓は悲しいんだよね、先輩たちの卒業が!でも、普段はそれを誰かに告げるでもなく、誰かに見せるでもなく、あまつさえ自分自身にさえ突きつけることなく、ただ自分の内にしまっているんだよね!そして、ふとそれが表に出てしまっても、自分すら気付かないようなふりで、すぐに何事もなかったかのような顔に戻って!!
これが、「梓」なんですよねぇ…。
まさしく、「自分自身の気持ちを、自分自身が一番わからないでいる梓」ですよ。もう映画の初っぱなから、そういうものをさりげなく示してあって、ストーリーのバックボーンにしているわけですよ。「そのままの自分でいい」という話も、梓にはキツいよね、「そのままの自分の気持ち」を出せないでいるわけだから。
実は、OPにはもう一つ、意味ありげな仕掛けが施されています。「お茶にしよっかー」と言われた梓が「え?え?!」って返したシーンの後、OP曲に入ってすぐ、何故だか「鏡」のある場所へとカメラがフォーカスするんですよ。うがった見方かもしれませんが、ここでの鏡は…「自分のこと、ちゃんと見えてるかい?」という問いかけのようにも思えるんです。
もちろん本編の中にもあちこちに、そういう梓のことを示すモチーフが登場します。主だったところを順番に拾っていきましょうか…。
~~~
ロンドンへと向かう飛行機の中での機中泊、就寝タイム。この時、彼女ら5人がアイマスクを付けて眠るシーンが描かれるのですが…。
違うんですよね、アイマスクの柄が。澪のと、梓のと、その2つだけ。
他の3人のアイマスクは、目を閉じた柄になっています。対して、澪は両目ともぱっちり開いた柄。そして梓は、片目を開いて片目を閉じた、ウインクしたような柄です。
これが、ねぇ…。もう、初めてこの映画を見た時から、すんごく気になってましてねぇ…。「何でだ」って、思うじゃないですか。だって、アイマスクの柄なんて、みんな一緒だって構わないし、逆に5人ともバラバラだっていいようなもんでしょ?なのに、何でか、澪と梓のだけが違うんです。それも、澪は澪の柄で、梓は梓の柄になっていて。
特に意味はない、「たまたま」でそうなった?…いやいや、「たまたま」なんかじゃないんですよ、この柄の割り当ては。映画のパンフレットをゲットしている方は、是非とも見直してみてください。30ページの右下、アイマスクの設定画が書いてあるところに「澪用」「梓用」の柄の指定があり、その他の三人は一緒くたにされているんです。澪と梓には「あえて」、他の三人と異なる柄を割り当てているんですね。
そうしているからには、何か理由があるはずなんです。さて、一体何でしょうね?
一つ考えられるのは…「目」を開いてる柄は「見えている」ことの、「目」を閉じている柄は「見えてない」ことの、それぞれ暗喩になっているんじゃないか、ってことです。直球過ぎ?そうですね、すんごい直球ですが…ここで問題と言いますか、きちんと考えないといけないことは、「その見えたり見えなかったりしているものは何か」ということなんです。
澪にはっきり見えていて、他の三年生三人には全く見えていないことと言えば…いくつか考えられそうですね。例えば、何かが「回ってること」を通して澪に見えている「イヤな予感」とか。…いや、でも、その澪の「イヤな予感」は、必ず当たってるわけじゃないですよね。大観覧車に乗っても問題なかったし。イベントで唯がアンプにコードを指しても問題なかったし。つまりこれは「見えている」んじゃなくて、澪が勝手に感じているような「気がしてるだけ」って線が濃厚です。じゃ、その他には?澪だけ突出して英会話のヒアリングが優れているところがそうなんでしょうか?いやいや、それは「(上手に)出来ること」「(上手には)出来ないこと」であって、見えてる・見えてないってのとは微妙に違う気がします。少しだけならムギも英会話できてるしね。
その他に何かないか…そう思ってあちこち探していくと、もう一つ、それらしいのが思い当たります。それは、「旅行へ行く先の希望」の話なんですよ。
TVシリーズでは未放映で、メディアのみに収録された番外編「計画!」の中で、夏休みの彼女らは卒業旅行の行き先の希望を言い合います。そして、映画の序盤でも彼女らは、行きたいところをお互いに言うのですが…その中身をおさらいしてみましょうか。
・唯
計画:「美味しいお菓子があればどこでも」
映画:ヨーロッパ
・律
計画:ハワイ
映画:ドバイ
・紬
計画:温泉、または「みんなと一緒ならどこでも」
映画:温泉
・澪
計画:イギリス
映画:ロンドン
どうですか。唯と律は予想通りブレ方がヒドいですなw 続くムギは、温泉という点は終始一貫しているように見えますが、でも姿勢の基本は「みんなと一緒ならどこでも」ということですし、そもそも「温泉ってどこのよ?」と考えると、希望と言っても緩やかなもので、あまり明確な行き先の希望はないことがわかります。つまり、4人の卒業生の中では唯一澪だけが、ブレのない自分自身の確固たる「行きたい場所」を抱いていて、それを明示しているってことがわかるんです。
澪にだけちゃんと「見えているもの」って、つまりは「自分が願う思いの、確かで具体的な姿」ってことじゃないですか。何となく、ではなく、その場の思いつき、でもなく。即座に答えられるほど普段から心の中にあって、揺らぎやブレのない、特定の、確かな願い。それが、澪にだけはしっかり見えている、と。それが、両目をしっかと開いた澪のアイマスクに投影されてるってことではないでしょうか。
そして、それは。
そっくりそのまま、「片目だけをつぶった梓のアイマスク」にも当てはまるんです。
梓自身が願う思いの、確かで具体的な姿。普段から心の中にある、特定の、確かな願い。…それは多分、「先輩たちと、もっと長くずっと一緒に軽音部を続けていきたい」というもののはずです。でも梓は、それを「即座に答えること」もできなければ、揺らぎやブレのない形で温めているわけでもないんです。本当は心の奥底でその願いに気付いているはずなのに、表面上はそれに気付かないかのような、そんな状態にいます。もしくは、知らずに何らかのガードを自分でかけて、気付けないようにしています。奥底では「見えている」はずなのに、表面的には「見えていない」。そういう、微妙な状態の梓を暗示するアイテムの一つとして、この「片目のアイマスク」は投入されているんじゃないでしょうか。
このことを裏付けるように、梓はこの旅行の間中、同じ夢を繰り返し見るんですよ。あの二期#13「残暑見舞い」の時と同様に…。
~~~
ロンドンでの一泊目の、夜。
そこで梓が見る夢の中に次々と現れる、「いつかどこかであったシーン」の数々。ある種の「プチ走馬燈状態」ですね。梓が一年・唯たちが二年の時の学園祭ライブの舞台衣装、ネコ耳装着あずにゃん、マラソンで走ってる梓、等々。曽我部先輩への演奏プレゼントの際の構図~贈り物をする人が講堂のステージにいて、贈り物をもらう人が下に立っている~だけは、梓が知るはずのない部分なので、視聴者向けのギミックと捉えるべきでしょうが、それ以外は梓自身が体験してきたことのランダムな再現になっています。
梓自身の、過去へと向かう思い。これらのプチ走馬燈は、そのことを示しているように思えます。
しかし一方で、梓が見ている夢の内容そのものは、近未来の、ある仮定の出来事なんですよね。唯(何故か唯だけww)が留年して、梓と同学年になって、「先輩」じゃない呼び方を考えなきゃいけなくなって。そういう近未来の夢なのに、その中には過去のモチーフがいっぱい出てきているわけです。
つまり、梓の中には「過去がそのまま未来にも続いてほしい」という願望が潜んでいる、ってことですよね。唯がそのまま学校に残って、過去の出来事を繰り返していく、そうなったらいいなという梓自身の願望が、彼女の夢には反映されているわけです。
そして一泊目だけではなく、ロンドンにいる間中、梓はこれと同じ夢を見続けているようです。二日目も三日目も、「…ううーん、じゃあ先輩のこと、何て呼べばいいんですか…」ってうなされていますからね。そんなに毎夜、うなされるほどに、何故この夢を繰り返し見ているんでしょうか。
その答えはきっと単純で、その夢の中に、梓がすごく気にしている悩みや願望~しかも容易には解決できないような~が含まれるから、だと思うのです。私自身にもありましたもん、転職後しばらくは「今の職場と以前の職場を行き来する、二足の草鞋状態になる」なんてあり得ない夢を、それこそ繰り返し繰り返し見ていたものです。そんな可能性がほとんどなくても、いや、可能性がないからこそ、自分の奥底にある願望が夢という形で現れてくるんですよ。
映画に出てくる梓の夢も同じです。「過去と同じ楽しい未来が、この先も続いてくれないだろうか」という、あり得ないものへ向かう切ない願望があるから、繰り返しこの夢を見るんですよね。梓は明にか暗にか封印していて、表向きには決して外に出さないようにしている願望に根ざした夢。しかし、辛うじて表面に出てきたそれが「起こり得ないこと」であることを、梓は夢の中できちんと認識しているようでもあるのです。
もう先輩じゃ、ないんだよー
ないんだよー
(ないんだよー)
夢の最後には、そう言いながらドアを閉めて、去っていく唯が…。これからも一緒、という設定で夢に出てきた唯なのに、結局その唯はドアの向こう側へ去っていってしまうんです。
~~~
自分の願いがきちんと見据えることができていない梓は、それ故に、迷いのようなものの渦中にいます。そして、実は答えに気付いている梓のこと、無理をしている梓のこと、「迷いのさ中」から「自分で前へ進める状態」へと変化する梓のことなども、この映画ではそれぞれちょっとしたシーンを絡めながら描いているんですね。
例えば、ロンドン行きの、飛行機の中で。唯の、どんどん逆回りしていったら過去へ行っちゃうのかという問いに対して、梓は即座に「いえ、そこまでは戻りません」と答えているんですよね。これは、時間が不可逆であることを、決して元には戻らないことを、梓が最初からちゃんと理解しているという振りになっています。
例えば、ロンドンに着いてすぐの、梓の靴擦れ。せっかくの旅行だからと、新品のオシャレな靴を履いてきた梓なんですが、それが靴擦れの原因になっちゃったんですよね。これ、「無理して自分を偽っちゃダメ」ってことなんじゃないですか?そして梓は、先輩たちの勧めでロンドンでスニーカーを買って、事なきを得ます。自分らしくあるのが一番いい、ってことなんですよね。「似合ってるよ、あずにゃん」という唯の言葉が、梓のことをよくわかってる先輩たち、という意味に響くようになっていて、何気にじわっと来るところです。他ならぬ先輩たちから「そのままの自分」を肯定された梓だからこそ、後でちゃんと前へ進めるようになるのかも知れません。
例えば、ロンドン二泊目のホテルにて。途中で目覚めて、寝ぼけたまま唯を捜して廊下に出た梓は、落ちてるアメを拾っていきながら「今度こそ、本当に道しるべ…」とつぶやくんです。
寝ぼけてるから、よくわかんないことを言っているだけなのかもしれません。でも、寝ぼけてるからこそ、ロックのかかっていない状態で本心に近いところが出ている可能性もあります。もしこれが、隠れていた梓の本心に近いものだとすると…梓は心の中で、自分が道しるべを捜していることを…迷い道にいる自分のことを、ちゃんと気付いている、ってことになります。
自分の心をわかっていていいはずなのに、わかっていない状態の、梓という女の子。でもそれは、「本当に何もわかっていない」わけではないんですよね。明に暗に、自分の心の扉を開くきっかけは、大小取り混ぜて色々とやってきます。その過程を経て彼女の気持ちは確実に前へと進んでいて…旅行前には、先輩たちに向かう気持ちを知らずに自分で押さえていたように見えた梓が、旅行後にはストレートに先輩たちへ気持ちを告げるようになれるんです。
卒業旅行の行き先を相談していた時の梓はすごく遠慮していて、さんざん先輩たちから誘われてもこんな感じでした。
ホントに、お邪魔じゃないですかね…。
…じゃあ…是非…。
それが、旅行から帰ってきて、最後の教室ライブを誘いに来られて、律に「私たちだけでやろっかなーって思ってたりするんだけど…」とか振られた時はこうですよ。
…そんなのダメです。私もやりたいです!
先輩たちとみんなの前で演奏するなんて、もう最後じゃないですか、しかも学校で!
全然違うじゃん!全然別人じゃん!でも、それでいいんだよ、もっと先輩ラブでいいんだよ!
何と言うんでしょうね、明示的な「コレ!」という描写はないんですが…梓は先輩たちの卒業旅行に、同じ一人の仲間としてついていって、濃密な楽しい時間を5人で過ごすことによって、そこから「確かな自分の気持ち」を掴みとって帰ってきたようにも見えるんですよね。これって、すごいことだと思うんですよ。昭和の青春ドラマよろしく気持ちをぶつけあって涙を流してわかりあうような、そういうイベント無しでも、こうして「ちゃんと確実に伝わるものがある」ってことじゃない?
一期から通して、何か特別なことではなく、普通のことのみを積み上げてきた、このけいおんシリーズ。そこで描かれる「もう一つの帰着点」で、やはり普通のことの延長線上に梓の未来は来るんですね。
~~~
そうして梓は、教室ライブでは先輩たちと同じ机の上に乗って、U&Iを演奏します。これは、言わば「先輩たちとイーブンの状態」ですよね。あの遠慮していた梓が、この遠慮していない梓になれたこと、同じ仲間というところまで来たんだってことを、ここでも表現しているように思います。しかもこのシーンでは、曲の間奏で唯と向かい合わせでギターを掻き鳴らす梓の姿も描かれていて…私はこれ、何度見ても泣きそうになっちゃうんですよ…。ぴったりシンクロしている様が、「同じ気持ちでこの今を輝かせている二人」を思わせるんだもの。そして、ここまでの道中を色々と迷ってきて、でも今はここに到達できている梓のことを、強く強く感じさせるんだもの…。
しかし、それでも…向かい合ってのギターリフの後、もう一度梓の方を向いて唯が歌った時…梓は、やり場なさ気な瞳をふっと下に向けるんですね。その意味まではまだよくわからないかのような、或いは、そこに込められた思いを受け取る準備までは出来ていないかのような風で。
そこで唯の口から歌われている歌詞は、こうです。
キミの胸に届くかな?今は自信ないけれど
笑わないでどうか聴いて
思いを歌に込めたから
この後、唯たちは心を込めた歌を、梓へとプレゼントします。ここの歌詞は、その前フリとして効いてくるんですよね。しかもここの歌詞、TVシリーズでは一切使用されていなくて、映像作品としては初登場の部分になるんです。…まるで、「このようにして映画のシーンで使われることを想定して作られた歌」みたいじゃないですか!そんなことは無いはずなのに!後付けでここまでピッタリと合わせられるものなの?!
…梓にはわからないんですよね。先輩たちからそうされる理由が。
表層的には、「ここで自分の方を向いてこの言葉を歌われる理由」がわからない。深いところでは、「先輩から思いを込めた何かを贈られる理由」がわからない。仲間としては既にイーブンなんだけど、それ以上の、「大事な大事な後輩としての自分へ向けられている、先輩たちの思い」まではわからない。
でも!唯はここで、その壁をぶち破ってみせるんです!サビに突入すると同時に、机の上から観客側にダイブして!ステージの上に残る梓と、ステージ下にいる唯という構図を、自ら作り出して!
…だってこれ、梓の夢の中に出てきた、「ステージ上の唯とステージ下の梓」の、逆の構図じゃないですか!二期#7「お茶会!」の曽我部先輩のあのシーンからの引用で、思いを贈る側がステージ上に、思いを受け取る側がステージ下にいるという解釈を取るならば、「あずにゃんから私たちもいっぱい受け取っているんだよ!」という宣言になるんですよ!!
そうなんだよね、「天使にふれたよ」はただのプレゼントじゃなくて、唯たちから「私たちに翼をくれたあずにゃん」への「お返し」でもあるんですよね。
だから、天使にふれたよの演奏中には、あのアバン冒頭の写真の「チョコケーキ」に関わるエピソードが、リフレインされます。あれもまた。「私たちにチョコ=大切に思う気持ちをくれたあずにゃんへのお返し」だから。美しいと思いませんか?アバンの初っぱなで「何だろう?」と思わせたあの写真は、終盤でこうしてタネ明かしされることで、映画の最初から最後までを一気に貫く、一つの軸として輝くんですよ。
そう考えると、天使にふれたよの演奏が始まって梓がつぶやく「そっか…」というセリフには、上記も含めて色々な気付きが内包されているように感じられるのです。先輩たちが何か隠しているように見えていたのはこれだったのか、という気付きやら。先輩たちは自分のことをここまで思っていてくれたのか、という気付きやら。先輩たちは自分にとって、先輩であると同時に「仲間」という存在だったんだ、という気付きやら。…梓のこれまでの迷いはすべて、この「そっか…」に収斂するんです。
この映画では、梓は泣きません。
いや、実際は、天使にふれたよの演奏のシーンでは、泣いているはずです。パラレル設定でない、TVシリーズと同じシーンであるならば、あそこで梓は涙を流しているはず。
でも、そこを描写しないんですよね、この映画は。
重点の置き方が異なるんですよ。TVシリーズでは、そこまで彼女が避けてきた「悲しい気持ち」へと向き合って、涙を流すとともに先輩たちの思いを受け取って昇華することが主軸に置かれていました。しかしこの映画では、「そっか…」という気付きのシーンこそが、ここで描写すべき梓の思いとして置かれているんです。この時まで彼女が理解し切れていなかった、先輩たちにとっての自分の意味合い、自分へと向かう先輩たちの思い、そういうものをスパッと「わかる瞬間」というのが、このシーンの梓のクライマックスになっているわけですよ。
片目だけは開いているけれど、もう片方の目は閉じたままだった少女、梓。彼女はここでようやく両の目で、これまで自分たちが過ごしてきた時間の大切さと、自分へと向かう先輩たちの思いとを、しっかりと見据えられるようになったのです。
以上、「A~梓編」でございました。後半、ちょっと大人しめになっちゃいましたかね?それはそうです、だって梓はこの映画では「メイン中のメイン」ではなくて、どちらかと言えば「メイン中のサブ」ですから。本命はあくまで、唯たち卒業生4人。というわけで、映画けいおんレビューの最後となる次回は「Y~唯たち卒業生編」をお届けしたいと思います。まだ2千字くらいのテキストしか用意できてないんですよね…どこまで書けるかなぁ。でも、頑張るっ。せっかくここまで来たんだから、最後まで完遂しなくちゃ、ね。
では、また。
※追記(7/18 1:22)
最後のレビューが上がりました。
映画 けいおん! #4
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