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Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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人間、皆平等。
 「人間、皆平等」というのは、「そうだったらいいよね」という理想であり、そうであることを目指すべきものでもあるのだけれど、実際問題として「人間、皆平等」が自ずと実現可能な世界になっているのかと問われれば、答えは残念ながら「NO」だ。何を以て平等であると判断するのかが著しく難しい、ということをさておいたとしても、現実はどうしようもなく不平等である。

 例えば男と女、というだけでも、平等ではいられない。男女平等は確かに目指すべきものではあるが、不平等が一掃され得るかと言えばそうはなっていない。仮に大きな一つの問題を解決しても、次の問題が必ず俎上に上るだろうし、突き詰めていけば身体の差異が残ってしまう以上は「全き平等」とはならないはずだ。いや、平等でない部分の差を埋めようという努力を否定したいのではない。その努力は重要なことだろう。言いたいのは、「不平等が付いて回る」ということを前提とせずに、素朴な気持ちで平等を謳うわけにはいかないだろう、ということだ。

 同じ環境に生まれついた一卵性双生児だったとしても、平等にはならない。一郎が食べたものと寸分違わぬものを次郎は食べられないし、試験の点数も全く同じにはならない。同じ女性を愛して同時に結婚することもできない。一郎は一郎なりの一郎として社会から評価されるし、次郎も次郎なりの次郎として受け入れられる。生まれた時が同時であっても、死ぬ時が同時だとは限らない。生まれた時から死ぬ時まで、一郎は一郎だし、次郎は次郎だ。「なるべく平等に」と扱うことは可能でも、どこかで必ず差異が生まれる、それがなにがしかの不平等になる。

 「だから」。…平等を目指すことは大事なのだ、と結論してもよい、とも思う。だが、今の私が考えていることは、ちょっとだけ違う。「だから、何で私だけが不遇に、という発想は詮無いことなのだ」と、今の私は思っている。現実問題として不平等が存在する以上、不遇な者は出るし、それがたまたま私であったとしても何の不思議もない。そう、それは必然ではない、たまたまなのだ。たまたま今は不遇な自分は、たまたま何かの機会で不遇ではなくなるかもしれないのだ。

 おや。たまたま恵まれたり不遇になったり、という一点においては、人間は平等であるかもしれない。いずれ、明日は我が身、だ。善き事も、悪しき事も。
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