勝って勝って勝ちまくって今の私があるのです。
これからは定冠詞をつけて「ザ・OB」と呼んで頂きたい。
……そこは、母音の前の定冠詞なんだから、発音は「ジ」なんじゃないだろうか……。
……………いやいや、それはいいんですが。大体、本作の場合は「OB」じゃなくて「OG」ですしねぇ。つか、これって結局ナンの略なんだっけ?Old Boy、Old Girlの略で合ってるんだっけ?てことはオイラはOld Dancerで「OD」?やー、何かそんな風に略すと「かつては踏んでいたヒト」みたいでヤダー!(実際、最近踏んでないから合ってんじゃないのか…)
踏んで踏んで踏みまくって今の私があるのです。
これからは定冠詞をつけて「ザ・OD」とy(もうええわー
これからは定冠詞をつけて「ザ・OB」と呼んで頂きたい。
……そこは、母音の前の定冠詞なんだから、発音は「ジ」なんじゃないだろうか……。
……………いやいや、それはいいんですが。大体、本作の場合は「OB」じゃなくて「OG」ですしねぇ。つか、これって結局ナンの略なんだっけ?Old Boy、Old Girlの略で合ってるんだっけ?てことはオイラはOld Dancerで「OD」?やー、何かそんな風に略すと「かつては踏んでいたヒト」みたいでヤダー!(実際、最近踏んでないから合ってんじゃないのか…)
踏んで踏んで踏みまくって今の私があるのです。
これからは定冠詞をつけて「ザ・OD」とy(もうええわー
やー!面白い位置付けのお話でしたねー!
「先生!」というサブタイだから、さわちゃんにスポットが当たる話だろう、ということは想定内のことでしたが、それだけでは終わっていなくて。さわちゃん世代サイドからも、唯たちサイドからも、見えてくる何かがあるんですな。だから、「サブキャラクターにスポットを当てたサイドストーリー・番外編」ではなく、「サブキャラクターを通じてメインキャラクターの本筋にも光を当てている、メインシリーズの一部」になっていた、と思います。
メインキャラクターに光当たってたか?と仰る方。へっへっへ、当たっていましたぜ、バリバリに。詳しいことは後で語るとして、そうですねぇ、その辺を象徴していたと私が一番感じたのは…立たされてる廊下で、クラスの表示板に手を伸ばしてる唯、かな?(えー
【神話の巨人】
今でも ときどき,
海は孤独な昔にかえる。
鉛色の頭髪をかきむしり,
狂暴な叫び声をあげて,
ただ, のたうちまわる。(小林純一「神話の巨人」より)
神話の時代のヒト、みたいに言われて初めて、「ああ、自分もこんなに年をとったか…」と思ったことがあります。自分の所属していた高校合唱部の練習会場で、OBとして参加していた時ですね。そりゃそうだ、今や第30回に達する定期演奏会なのに、自分がステージに乗ったのって第3~5回だもの。今、現役で活躍している高校生たちって、オレよりもオレの息子・娘に近い年代だもの。彼らの目から見れば、想像を絶する遠い過去のヒト、だよなぁ、オレって。もう42だし…ああ、何か涙出てきちゃった。
ただし。
これは何も、「何十年も経ったから」ってことではないのだと、そう思います。仮に開きが10年程度であったとしても、高校生にとって卒業生はやはり未知の存在。違う時代を、違うやり方で、でも同じ校舎で過ごした、遠くて近い存在です。
越えられないんですよねぇ、現役と卒業生の壁って。不思議と。
たった数年の違いでも、「卒業した前か後か」だけで、越えがたい壁が生まれます。意識するとしないとによらず。「#7 お茶会!」の時にも触れましたが、「卒業という境界線」は実に堅固で頑強なんです。その違いを見せるために今話でピックアップされている、「卒業前世代」の代表者は、唯。対して「卒業後世代」の代表者は…前半では紀美、後半ではさわ子辺りに見えますね。
「卒業前」から見ると、「卒業後」の人たちは、確かに巨人に見えたりもします。本当に巨人なのかどうかは、また別の話ですけれどもね。
~~~
大人ってすごいねぇ。
(中略)
私も大人になったら、大人になるのかなぁ?
唯らしい、よくワカンナイような言い回しですが…ちょっと私流に補足・改変してみましょうか。
大人のヒトってすごいねぇ。
(中略)
私もあの位の歳になったら、あんな風になるのかなぁ?
憧れ。もしくはそれに近い何か。そういうものを、この唯の言葉から嗅ぎとることができます。自分たちとは違う、すごいものを持っている、大人のヒト。そんなすごい人に、自分もなれるんだろうか?素朴な疑問。だけど、答えが出ない疑問です。唯は別にそこに拘泥してはいませんが…「高校生」という特別な時を過ごしている当事者の彼女には、どんなに頑張ってもそれを知ることは無理なんですよね。外から、卒業した後の人からでないとわからないことですから…だから、わからないから、唯はすごい人たちに向けて、ただただ憧れの視線を送り続けるんです。
Aパート終盤の、おでん屋での光景。紀美のギターは、澪や梓から見てもとても上手いようですが、それを見ての唯のモノローグ・対応が実にいいですね。
(何かかっこいいなぁ…)
紀美さんも私と同じギー太を弾いているのに、何か違う。だから、ギー太を返してもらった唯は、自分でもその場で弾いてみるんですよね。こうかな?いやそれともこうかな?
弾いてみても、やっぱり違う。大人ってすごい。
何でも物事を素直に受け止める、唯の視点だから。そのフィルターを通した唯の感想は、何だか僕らにもダイレクトに伝わります。ああ、大人ってすごいね、すごく見えるね。一時的に自分も高校生に戻ったような、妙な感覚…。
Bパート終盤での、二次会の光景。特別編成Death Devilの「ヌルっちさ」に耐えきれなくなったさわ子は、とうとう自らの禁を破ってステージに上がってしまうのですが、そこに向ける唯の目が、これまた実にいいんです。
瞳がウルウルして、キラキラ輝いているんですよね、唯のアップで。
このシーンだけだと、単に「さわちゃんすごいなぁ」という意味にも取れるところですが、他のシーンやセリフなども補完することで、ここの意味合いは一つに収束します。「やっぱり大人ってすごいなぁ」なんですよ、これは。
何でも世界を率直に受け止める、唯の視点だから。そのフィルターを通した唯の思いは、何だか僕らにもビビッドに伝わります。ああ、大人ってすごいね、すごく見えるね。今だけは自分も子どもの立場から見ているような、変な感覚…。
面白い、と思います。「この人たちは自分たちよりも上手い」ではなく、「大人ってすごいんだ」という方向に、あえて振られているんですよね。つまりは、「バンドとしての技量の問題」という静的な対比ではなく、「経てきた時間の長さの違いによる到達点の差」という風に、時間の流れが介在しているんです。Death Devilの過去、現在。そして、放課後ティータイムの現在、未来。その、スライドする二つの歴史に、意図的にフォーカスが合うんですよ。大人ってすごい。自分たちも、ああなれるんだろうか。
だから、廊下に立たされている唯は、背伸びして上を目指すんですよ。「届いた!」自分が立っている地面からつま先を伸ばして、自分より上の何かに手を伸ばして…。横にいる紬が、高校生のうちにしか体験出来ない「廊下に立ってなさい」を満喫しているのがまた、微妙に対照になっていて面白いですね。
神話の時代の人たち。まぶしく見える、彼の人たち。その憧れは憧れとして、いいものです。でも、そこに到達することだけが、ゴールではないんですけどね。税込み1,480円。そんなに上を狙うことが、必ずしも幸せとは限らないのと同様に…。
【今でも…ローセキは魔法の杖】
そうっと思い浮かべるだけで
無邪気な日々が今日と重なる
今でも ローセキは魔法の杖(柴野利彦「明るい光に満ちた季節は惑いを止め」より)
荒れ狂うような叫びと音響を主装備としているDeath Devilの演奏には似つかわしくない詩ですが…色々考えて、やっぱりこちらを選びました。
だって…何か、思っちゃったんですもん。さわちゃんがついにステージに立ち、「ホンモノってぇのを見せてやる!」と猛々しく叫んだその瞬間に。「ああ…巻き戻ったんだ…」って。
越えられないんですよ、現役と卒業生の壁って。本来は。
どんなに若い気持ちでいても、現役にはなれないんですよね、卒業生は。現役高校生が卒業生と同じにはなれないように、卒業生もまた、現役に戻ることは出来ない。物理的な意味では、絶対に、です。
でも、その越えられないはずの壁を、戻るはずの無い時を、このシーンでは安々と越えているように見える、戻っているように見えるんです。だとしたら、それは何という奇跡なんだろうかと。
ハルヒにおける伝説のライブシーン、「God knows…」の演奏。あの衝撃に近いものを感じました。表現しているモノも違えば、制作陣の顔ぶれも結構違うのに…でも、「描きたいもの」があって、そのために力が注がれたこの出来だからこそ、等価な何かを自分に感じさせてくれたのだと思います。あの、メガネを取った直後の、さわちゃんの表情!いつものような、お茶らけ気味の怖い顔じゃないんですよ、大マジなんですよ!もうね、震えた!キター!って思っちゃったよ!マイクに向けて声を張り上げるその仕草も、もうイチイチ素晴らしい!
面白いのは、唯の視点が「大人すごい」なのに対して、Death Devilの演奏が「あの頃のホンモノを肯定する」ってところに収斂していること、なんですよ。彼女らは、大人になったからすごくなったわけではなく、単に上手だからすごいわけでもない。でも、「ホンモノのDeath Devilはこうだ」という、ただその一点のみなんですね。
~~~
Aパート冒頭の「さわちゃんの一日」を表した一連のカット。一々、さわちゃんの足元が映る凝った作りですが、この足元って…全部、「背中を向けていたのを振り向く」ような、そういう足運びになっています。背を向けてるってことは、直前まで顔を見せていないんですよ、さわちゃん。自分の本当の顔ではなく、「先生」としての顔を振り向く途中で準備しているのかも…そんな風にも受け取れます。ああ、だから最後のカット、軽音部の連中といるところのカットだけは、足元は最初から正面を向いている=素顔を見せているのか。「裸足」って辺りも、それを補っていますしね。
さわちゃんも、それまで「ホンモノ」は見せていなかったんですよね。だけど、「ホンモノじゃないDeath Devil」に我慢ならなくて、「ホンモノ」を見せるに至った、と。本人は「やっちゃったー!」と思ったそれを、しかし先生のファンである生徒たちは「カッコよかった」と受け止めていて…これまた、「ホンモノを肯定する」という線にきっちり沿っているんですよね。
これを仕掛けた、紀美の本心はどうだったのでしょうか。何となく、こうなることを見越して、HTTのメンツにヘルプを頼んだという気もしますね。さわ子なら、きっと我慢できなくなって出てくるだろう、と。根拠はあんまりないんですが…さわちゃんが「ホンモノを~」宣言した後の表情が、そんな風に見える気がします。「ふっ」と軽く笑った後の、本気顔に変わるとこ。しびれるよねぇ。
あとは…さわ子から断られても断られても、何度も頼みに行く、食い下がるという、あの姿勢がね。「やっぱり、Death Devilをやるならさわ子がいなくちゃ」という、そういう一念で足繁く通っていたように見えるんですよね。やるならホンモノじゃなきゃ、ってね。
そうして実現した「ホンモノ」だからこそ…演奏中に、現役だった当時の回想シーンが真に迫って流れるんです。「ホンモノ」が通ってきた、唯一無二のあの日々。青い風船が飛び立つようにして、その日々から巣立っていった卒業の瞬間…。
彼女らしか戻れない、真実の日々。
それは、本当なら戻れないはずの日々、でもあります。
だけど、極稀に、条件が揃った時には、こうして戻ることもある。
だって、ホンモノなんだから。彼女ら自身も。あの日々も。
~~~
さて…大事なのは、「ホンモノのDeath Devil肯定」が、イコール「放課後ティータイムの否定」ではない、ってことだと思います。ホンモノじゃなきゃダメ、ってだけなんですよね。今回はニセモノDeath Devilだった唯たちなので、出番は少なかったわけですが…それとは別に、「ホンモノの放課後ティータイム」はあるはずです、肯定されるべき存在のはずです。
Aパート終盤の、おでん屋での光景。紀美のギターを見ての唯のモノローグ・対応も素晴らしかったですが、唯が弾くギターを見ての紀美の表情もまた、実に素晴らしかったですね。肯定してるんですよ、唯のその行為を。ああ、この子らも、この子らなりの「ホンモノの日々」を過ごしているんだな…って感じに見えませんか。
唯たちの今を肯定する優しい視線があって。そしてまた、これから卒業に向かっていく=ホンモノの日々から巣立っていく彼女らも、いつか今日のDeath Devilのように戻れることがあるんだという救いを示して…。
卒業することは、悲しいかも知れない、寂しいかも知れない。だけどそれでも、ホンモノの日々は常に僕らとともにあって、いつになってもホンモノのままなのです。そして、たまにはその日々に帰ることもできるんです。だから、心配要らないよ。その貴重な日々を、今まで通りに心ゆくまで、最後の瞬間まで楽しんでいくんだ。
いつか、あの青い風船のように、自分たちが大空に飛んでいく日にも、笑顔でいられるように。
↑楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。
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