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Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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あの人がパンツに目覚めたようです。
 話はあちこちで読み囓っているので、その存在と、大枠的なイメージだけは私でさえ知っている、ストライクウィッチーズというアニメ。いわゆる、「パンツじゃないからはずかしくないもんっ!」というですね、まーなんつーんでしょうか、新たなる萌えの境地なのやら遂に人類もここまでキタかという諦めなのやら(微妙な意味で)、まあ話題性は十分にあったアニメであるわけですが。

 それは表層的な部分のみならず、中身もなかなかにしっかり作られていて、「決してただの『パンツアニメ(パンツじゃないけど)』ではない良作、いや傑作」という評価もあちこちでお見かけいたします。あの人とかこの人とかは放映当時からかーなーりー入れ込んでおられますし、そのアツい評論は私もじっくりと読ませて頂きました。今また、こちらの人がその深奥なる世界の扉を開け、「魅惑のパンツじゃないワールド」に身を投じようとする世紀の瞬間に我々は立ち会っているわけですよ。つーか、援護射撃をする人たちの語りかけるその熱意が生暖かすぎてステキです。みんなどっかでよくお見かけする人ばかりですが。(^^;;;

 さて。

 こんな記事を起こしているからには、いよいよてりぃも転ぶのかっ?!とか期待されたアナタ。すいません、私にはその余裕もございませんし、今のところそういう予定もございません。ただ、「パンツじゃないからはずかしくない」という部分に関しては、日頃思うこともありましたので、ちょっとだけその方向で記事だけ書いておこうと思います。ストライクウィッチーズに関しての肯定記事でも否定記事でもなく、将来の視聴を匂わすものでも非視聴を宣言するものでもないことは、先に記しておきます。
 


~~~


【その物語世界を「現実の変奏」と捉える立場において】
 時代が変われば概念も変わりますし、世界が異なればより一層。現代社会における都会の中で「自分の胸部を広く世間に晒しながら歩いても平気な女性」は稀な存在でしょうが、アフリカ辺りの森林で原始的な生活を送っている部族になるとむしろ「恥や外聞から自分の胸部を覆い隠している女性」の方が圧倒的少数派になります。

 このことから、我々が何かを恥じるという行為は、そもそも我々が「文化」と呼ぶものに根ざしている、極めて社会的な感情から来るものなのではないか、ということが示唆されます。人間という生物が、生物として生きる上で必要とする一次的な欲求から来るものではない、と。

 従って、パンツじゃないから恥ずかしくない、という概念もまた、その社会の文化に根ざすものという風に説明されれば「アリなのかも知れない」という理屈になります。ですが、どう見ても「パンツ」と同じものが、概念的に「パンツ」じゃないから、というだけで恥ずかしくなくなる、我々にはどうにもそれがピンと来ないんですよね。

 そもそも、何でパンツを見られると恥ずかしいのか。改めて自分に問うてみると、それさえもきちんと理解できていないような気がします。そこの整理をすることで、「何故『パンツじゃない』ことが『恥ずかしくない』ことに繋がるのか」を理解できないでしょうか?

 時間も余裕もない中なので、大変雑ぱくではあるのですが、「我々がパンツを見られると恥ずかしい理由」として、3つの分類を考えてみました。

(1)性器に極めて近い部分を覆う薄布であるから
 優れた子孫を残す、という、生物として目指すべき方向を考えた時に、「あらゆる異性に対して生殖器をオープンにする」ことは、決して有利なことにはならないはずです。強い異性、優れた異性を選択した後に繁殖に及ぶ、それこそが種の繁栄に繋がります。従って、本能的に生殖器近辺は「隠しておくべき場所」という色彩を帯びます。この延長として、その近辺を広く衆目に晒すことに対しては、大きな抵抗感が生まれるんですね。それが「パンツを見られて恥ずかしい理由」に根ざすものである、という考えになります。

(2)普段人には見せない部分、隠してある部分だから
 1とどこが違うんだ、というところですが…こちらの方がより広い概念、と思って頂けると。

 例えば、自分の部屋を人に見られると恥ずかしい、とか。尋常でなく散らかっていたり、エロスな本が散らばってたりということでなくとも、普段は人に見せない自分の部屋を改めて見せる時、ちょっと恥ずかしさを覚えると思うんですよ。部屋でわかりづらければ、例えば気心知れた学校の友達に、自分の肉親を紹介する時の、何とも置き場のない気持ちとか。点数の高低とは関係なく、テストの答案を人に見られる時の赤面しそうな思いとか。いずれも、その対象物が「どういうものであるのか、どの程度のものであるのか」ということは、恥ずかしさの度合いとはあまり関係しません。肝心なのは、当人がその対象物を「どれだけ秘匿してきたか、どれだけ隠したいと思っているか」の問題になるんですね。

 つまりこの考えでは、普段は人から隠しているパンツゆえに、人に見られるのは恥ずかしい、ということになります。逆に言えば、普段からパンツを見せている人は、何ら恥ずかしくない、ということにもなるわけです。

(3)そのように教育されたものだから
 小学校低学年辺りだと、プライベートゾーンに対する考えも発達していなければ、そもそも「恥」という感情自体が未発達だったりします。割と短めのスカートを履いているのに、まーその辺をぽんぽん飛び跳ねるわ足をがばっと開いて座るわ…。スカートの時にはそんなに跳ねるんじゃないよ、パンツが見えるから。スカートの時は足を閉じて座りなさい、パンツが見えるから。そのように、妻も私も繰り返し娘に言うわけです。そうすることで、未成熟だった感情が次第に鍛えられて、「そういうもの」として身も心も理解できるようになってくるのだろうなと。

 と、いうことはですよ?逆に「パンツをきちんと見せないと恥ずかしい」ということを、幼少の頃から繰り返し叩き込まれれば、そういう風に育っちゃうってことなんでしょうかね?それは大変恐ろしいことではありますが、興味深いことでもあります。僕らが、一体何を基準にして社会生活を営んでいるのかの、証左に繋がることのようにも思えるんですね。まあ、だから「教育は重要だ」と言われるのでしょうが。

 パンツの話に限らず、僕ら親は「そういうことをするのは、恥ずかしいことなんだよ」というセリフを、子どもらに対して結構な頻度で口にしています。往来の真ん中で大声で笑うこと。電車の中で席を散らかしながらお菓子を食べること。悪いことをした相手に謝りもせず、時によってはむしろ逆ギレして周囲を困らせること。いずれも、子どもが自分自身で「そういうことをするのは恥ずかしい」と悟るというよりは、親の口から「恥ずかしいものなんだよ」と教えてあげて、軌道修正してあげてるんですね。それで、今の日本という社会に、子どもたちがきちんと適応できるようにしてあげているわけです。


~~~

 以上、3つの考え方を整理してみましたが、いかがでしょうか?これを、「パンツじゃないからはずかしくない」という概念の可能性に適用してみると、なかなか面白いことがわかります。

 まず、1の「性器近辺だから」という理由。これだと、履いているものがパンツだろうがズボンだろうがブルマーだろうがスパッツだろうが、その近辺を覆っている薄布であるというだけで恥ずかしくなってしまうはずです。つまり、「パンツじゃないからはずかしくない」という概念を導く裏の理由としては、ふさわしくありません。

 続いて、2の「隠してある部分だから」という理由。これは、ピッタリとマッチするわけではないけれど、違った意味で面白いです。「パンツは普段隠してあるもの」「(外見はパンツと同じに見えるけど)ズボンは普段から見せているもの」という風に捉えてやると、「パンツじゃないからはずかしくない」という方向が自然と導き出されてくるのですよ。つまり、2は候補としては「アリ」ということになります。

 問題点は、「パンツは普段隠してあるもの」云々という部分の前提条件を、どうやって規定するか、なんですよね。極端な話、「パンツを普段から隠していない人」にとっては、「パンツだけどはずかしくないもんっ」になっちゃいますし、「ズボンもパンツと同様に普段は隠している人」にとっては、「パンツじゃなくてもはずかしいもんっ」になってしまいます。スカートの下にブルマー履いてる女子が、スカートめくられて悲鳴あげてるの、見たことありませんか?同じようにブルマー履いてて、めくられても平気な女子だっているのに。このように、人によって線引きが異なる部分に、「誰もカレもパンツじゃないからはずかしくない」ことの理由を載っけてしまうのは、ちょっと説明として弱い気がするんですね。

 で、残る3。ある種のロマンから最も遠いこの3番が、実は一番ピッタリはまります。あの世界は、「このズボンは、見られても恥ずかしくない」という確立した概念の下、それが万人に対して自然と教育されている世界、という風に捉えることで、一切の矛盾無く、全てが説明できてしまうのです。これはすなわち、前段で述べた「文化」というものに他なりません。異なる概念の下、下半身を覆う薄布であれば何でアレ見られれば恥ずかしいことだろうと叩き込まれている我々が抱く感情とは全く別で、彼女らは本当にあの「ズボン」を見られることに一切の躊躇を持たない、そのように育っているのですね。



【その物語世界をあくまで「架空の何か」と捉える立場において】
 さて、もう息切れしてきたのでこの辺でやめにしますが。そもそも、僕らが見ているアレは一体何なのか、という観点について、ちょっとだけ。

 「アレはパンツじゃない」として。でも、ズボンでもなければ、他のあらゆる衣服でもありません。アレは「絵」「イラスト」という概念と繋がりのある、現実の「パンツ」に類するものに形状・色彩・質感を似せて描かれた「映像」なんです。

 そんな!!夢も希望もない!!と言うなかれ。アニメにしろ他の娯楽にしろ、突き詰めてっちゃえばそういう視点もあり得ます。アニメに登場するお気に入りのキャラクターは、現実の人間をデフォルメした形で映像の中に定着させたものですし、かっこいいメカだって、現実にある機械などを参考にしつつ、ある部分はリアルに、ある部分は作り手もしくは受け手に都合が良くなるように適度なウソを混ぜてそれっぽいものとして描かれている「表現されたもの」に過ぎません。

 それが「いい」「悪い」ということとは全然別なんですけどね。そんな、架空のものであることを十分に理解していても、それはとても面白いものですし、ハラハラしたり涙を流したり、私も普通にしています。だけど、極論するとアレは「パンツ」じゃないです。名雪さんが「人間」ではないのと同じに。

 そう思うと、「アレがパンツじゃないということは、だから恥ずかしくないという言葉の意味は、一体どういう事なのか」と考えることさえもが、提供された娯楽の一部として、逆に素直に受け取れるような気がします。ちょっとメタ視しすぎなのかも知れませんが、こういう記事に対して「現実と空想の区別が付かなくなって云々」とか言う層に対抗するために(笑)、あえて書き記しておくこととします。


 …それにしても、時間がないとか、睡眠が足りないんじゃないのかとか、そんな状態の時に早朝から頑張って1時間半もかけて書く記事がコレ、というのは、いいんでしょうかねぇ?
楽しんで頂けましたらWEB拍手をお願いします。
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コメント
この記事へのコメント
ちょwwww
てりぃさんまでwwww
こんばんは、たこーすけです。

びっくりしたw
しかも長いしww
ぼくも、あの御二方にあそこまで御回答いただいておりますので、ばしっと書きますよー!

>パンツの話に限らず、僕ら親は「そういうことをするのは、恥ずかしいことなんだよ」というセリフを、
~~~
>それで、今の日本という社会に、子どもたちがきちんと適応できるようにしてあげているわけです。

少しズレるかもですが、ノーベル賞の益川先生が、「ノーベル賞ノーベル賞というのは、はしたないと思う」と仰っていたのがとても印象的で、心洗われる思いがしました。

ではー。


2008/10/12(日) 02:05:15 | URL | たこーすけ #IRgsxwp.[ 編集]
ストライクウィッチーズは見るのを避けていたのですが、てりぃさんの記事は大変興味深く読ませて頂きました。
そういえば日本社会での良い例に『相撲』が挙げられると思います。
知っている人ならば特別な感情も無く見ることが出来ますが、知らない人たちからすればあの"まわし"は、とても変態的なものに見える気がします。
2008/10/13(月) 06:41:18 | URL | あるかさ #9WAugNKs[ 編集]
小さき者の考証
このところはストライクウィッチーズはおろかCLANNAD以外のアニメはほとんど見ていないのですが、興味深い内容だったので書かせていただきます。
小学生の頃、ふと「何でパンツを見られるのは恥ずかしい事なんだろう?」と考えた事がありました。
普段使わない頭をフル稼働させて、結局「浜辺でトランクス一丁になっても恥ずかしくはないが、街中で水着を着て歩くのは恥ずかしい」という、よくわからない反証(?)を導いたところで考えるのをやめてしまいました。

いや、まぁどっちも恥ずかしいんですが…。
頭のわりにはよく考えたなぁ、と(自画自賛)
要するに、周囲の人の目(を意識する自分)が、自分の社会的な行いを規定する――というような事を言いたかったんだと思います。多分。

あ、それから最近知ったのですが、イギリスの人は人前で靴下を脱ぐことは「恥ずかしい」のだそうです。ずっと靴を履いて生活していて、靴下を脱ぐのはベッドの上だけ、という文化がそうさせるのかもしれません。
これはてりぃさんの言うところの(2)と(3)に当てはまるところでしょうか。

話題はずれますが、人前でおならをしても平気な人っていますよね。
……ホントに関係ない話になりそうなので、この変でやめておきます。
2008/10/14(火) 21:41:41 | URL | szpn #-[ 編集]
パンツ談義(爆)
>たこーすけさん

>てりぃさんまでwwww

つーかですね、RSSに繰り返し「パンツについて」「パンツについて」言われれば、そりゃ気にもなりますってば。

>しかも長いしww

何かね、この頃フラストレーション、溜まってたんでしょうなぁ…。

>「ノーベル賞ノーベル賞というのは、はしたないと思う」

けだし名言ですなぁ…。雲霞の大群の如く「目立つネタ」に群がるマスコミやら、そんなマスコミの誘導する日々の情報に完全に目くらましされてる人々に、特に時間をかけて味わって頂きたいものです。


>あるかささん

>あの"まわし"は、とても変態的なものに見える気がします。

あはははは、そう言われてみれば、確かにそうかもしれませんが、「変態的」て(笑)。スモウ・レスラーの競技用パンツなんですけどね、異文化に感じるあの感覚で見られると、やっぱおかしい感じに見えるんでしょうねぇ。


>szpnさん

>「浜辺でトランクス一丁になっても恥ずかしくはないが、
>街中で水着を着て歩くのは恥ずかしい」

あはははは、面白いですねぇ。ただ、私はどちらかと言えば逆かなぁ。街中で水着、というのも、まあ確かに恥ずかしいですけど、浜辺でトランクス一丁の方がより恥ずかしいかも。

ビキニの水着と、ブラ&パンティのみの姿って、「露出範囲」だけで言えば全く同じなんですよね。あとは、水着VS下着の間にある「デザインの違い」とかしかなくって。下着みたいな水着、水着みたいな下着がある時点で、「もーどっちでもえーんじゃないのか?」という気にはなりますよねぇ。ましてや、「見せブラ」「見せパン」まで出てくると、はてさて何のために隠したり恥ずかしがったりしているものやら…。

まあアレです。すんげぇミニを履いておいて、階段を上る時にお尻を隠すのは、やっぱ妙だという結論で(爆)。
2008/10/17(金) 21:25:43 | URL | てりぃ #O8jQI81I[ 編集]
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