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Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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似て?非なる?
 「パクリ疑惑」というヤツが、ここ数年やたらに多い気がする。確かに「これはむごい…」と絶句してしまうようなモロパクリ、単なるトレースの作品も少なくないし、オリジナルという言葉が虚しく聞こえるような国をあげての剽窃などを見るにつけ、実際にパクリの件数自体が増えてもいるのだろう、ネットの活用によりそれが白日の下に晒されるケースも増えているのだろう、とは思うのだが…。

 その一方で、何かにつけて「パクリ」という声が聞こえるので、やや嫌気が差している部分もある。中には、「オマージュ」であったり「リスペクト」とされるような作品までもが「パクリ」呼ばわりされていることさえあり、正直驚きを隠せない。「一億総評論家時代」などと言われて久しいが、「○○は××のパクリ」と言って済むなら、そりゃあ評論も楽で良かろう。

 もちろん「パクリ」「盗作」は良くないことには違いない。だが、それはそれとして肯定しつつ、ここではあえて問うてみたい。「その作品の独自の部分を、そしてその独自部分と繋がる『引用が行われた理由』を、じっくりと吟味してみたことはあるだろうか?」と。
 
 自分のアイディアの欠如や才能の至らない部分を他者の努力の結晶で補ってしまう、真の意味での下劣な「パクリ」はひとまず脇に置こう。制作者が、あえて先人の作品から何かを引用したり、構図やモチーフを真似て導入したりすることがままある。日本では「本歌取り」なるものが一つの粋として古くから行われているし、ヨーロッパでも「××の主題による変奏曲」のようなタイトルのクラシック曲は星の数ほどある。それらが単なる盗作であれば責められもするだろうが、むしろ讃えられている作品が少なからず存在するのは何故だろうか。

 答えは簡単。それらの引用には、何らかの意味や思いが込められているからである。有名な本歌取りの一つとして、こんな例をご存知だろう。

国破れて山河在り
城春にして草木深し
(以下省略)
(杜甫 「春望」より)

国破れて山河あり
城春にして草青みたりと(以下省略)
(松尾芭蕉 「奥の細道」より)

 まるで一緒のこの二つの文章。江戸時代の俳人・芭蕉は、唐の有名な漢詩をパクったのだろうか?そうではない、と言われている。芭蕉は遠い過去の詩人に思いを馳せつつ、その作品から効果的な引用を行うことで一層の深みを探ろうとしたのだ。

 原文の漢詩は、幽閉されていた杜甫が、その最中に作った詩とされている。目の前で国が荒廃していく様を儚く詠ったのである。そこには、自身の嘆き、深い悲しみがありありと記されている。だが、芭蕉の状況はまるで異なる。今は草原となったかつての城跡を訪ねた芭蕉が、遠い過去に滅んでしまった営みを思い、その無常のあまりに詠んだ以下の句の導入部として、この引用は行われているのである。

夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡


 この句一つを取ってみても、遠い過去の狂乱が今はただ自然の中に没している様を読み取ることはできる。だが、杜甫の詩を引用することで、その「過去」には一層のリアリティが持たされている。杜甫のことをより良く知る者であれば、更に多くの感情をそこから引き出すことが可能であろう。あえて同じ文章を利用してみせることで、あたかも作品の世界は二重写しのようになり、双方の持つ味わいが読み手に一気に流れ込んでくる…優れた本歌取りが讃えられる理由の一つが、ここにあるのではないだろうか。

~~~

 似たものを見つけて「パクリ」と騒ぐことはたやすい。だが。本当の意味での「評論」は、「他と似ている部分」の抽出などではなく、むしろ「その作品独自の部分」を浮き彫りにする作業である。そして、「何故、この作品から引用が行われているのか」の探求である。そこに成果を見出した時、その者には得難い祝福が与えられるはずである。
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コメント
この記事へのコメント
長文ですが、失礼します
てりぃさんの考え方はとてもよくわかります。それどころか「本歌取り」という捕らえ方まで私の考えるものと似ています。(実は結構同じように解釈してる人がいるんでしょうか?)「本歌取り」という解釈が少数派なのかどうかは分かりませんがとりあえず「同志発見!!」といった感じですねww

しかし最近のアニメにおける「パクリ」の使用法は「ギャグ要素」に集中していると思います。アニメ「ハヤテのごとく!」の劇中では私の知る限り10種類以上の他作品を思わせる小道具・言動・演出があります。そしてそれらは、しっかり検証した訳ではありませんが、ただ他作品の要素を盛り込み、それの元ネタが分かる人は「○○をパクってんじゃん!」という流れで視聴者の「笑い」ないし「驚き」を得ていると思います。
最近ではそれが一般的なのでしょうし、それが悪いとも思いません。それに元ネタが分かる人のみが(少なくとも元ネタがあると分かった人が)旧作を「意図的にパクった」ことに対して「笑う」のですから「本歌取り」の意図に外れてないことも無い気もします。が、安易になりすぎてる気もします。アニメ作品が圧倒的に多い日本だからこその現象なのかもしれませんが、「ギャグ的な要素を増やすため」に他作品を「パクる」のはどうなんでしょう?
例えば「ハヤテのごとく!」の面白みの核は(原作未読で、アニメもまだ4話しかみてないですが)決して「パクリ」によるものじゃなく、どこかシリアス気味にずれた展開や、あの理不尽なやり取りや理不尽な言動などなど(結局の所実際に見た方が早い)なんですよね、たぶん。

ところで、私が最も好きな「本歌取り的引用(パクリ?)」は「ハルヒ」の劇中、長門が読んでいる本です。放映中、他ブログ等で実際に登場した本を発見・解説するとことかもあって熱が入ってましたからね。
いやもう私も京アニ信者って言われても不思議じゃないですねww
2007/04/27(金) 14:33:16 | URL | ある☆かさ #9WAugNKs[ 編集]
とおりすがりに
パクリといいますか、そもそもオリジナルとはなんぞや?という疑問がありますね。今でこそエヴァのパクリ、なんて言われる事は多いですが、エヴァ自体コラージュのように他作品を引用しまくっています。では、その元となる作品をその評論者が知っているか?といえば知らないことも多いですね。こんな、マトリューシカのように引用が入りこんでいる現在、オリジナルか否か、というのがそれほど重要か?という疑問があります。

また引用の面白さがかならずしも元ねたを知らなくても面白くかんじられる場合が増えてきたのは、(らきすたも多少ついていけませんねー、キョーダインも、アクマイザーもなんの事やらさっぱりですし。ゲッターもドリルのロマンもわかりません。が、面白いとかんじます、ハヤテのごとくもしかり)その、何か楽しげなデータベースにアクセスしている人を見るのが楽しい、つまりは他人が楽しそうにしている事に関与できるのが、楽しい、という経路をたどっているように感じます。斎藤環さんの説でいうところの、人間は人の欲望を欲望するというやつですね(猫が好きなのではなく、猫が好きな人が好き)これは、視聴者が作品というものに対するアプローチに、解読、解析以外の社会的可能性を持っている、普遍性や、社会的妥当性を持っている、もしくは持ちつつあるんじゃないかーなんて夢想しますね。

そこで、何かアイディアのデータベースを維持することに社会的必然性があると、仮定して、その上でオリジナルを大切にするとは何かを考えるとします。
そもそも、何かのアイディアを個人が所有するという意味合いが重要なのは、特許にしても著作権にしても同じですが、所有者の権利を保護することが社会維持に貢献するという一点のみのはずです。たとえばほぼ完全に同じものであっても、時期、場所、その他もろもろの事情でそのアイディアにアクセスできないとき、それの代替物が近場にあれば明らかに便利です。しかしそれがアイディアのオリジナルを所有する人間を排斥するものであれば、アイディアを作り上げようという意識自体が低下する。逆に言えば、オリジナルを所有する人間を必要以上に排斥しないのであれば、共有することは、有益かつ楽しいもののはずです。
これらの権利保護が既得権益を保護するためではない以上、アイディアのシェアがなんらかの社会的価値を持つのであれば、そのアウトラインは変化すべきなのじゃないかなぁ?などとかんがえます。

と言うとフリーソフトについての話なんかとつながってしまいますが。それは置いておいて、何が何かのパクリと言われることが増えているのは、そんな社会環境の変化に、適応しようとする人と、現在の環境を維持しようとする人の間での齟齬が増えているのではないだろうか?と考えました、長文すみませぬ。
2007/04/28(土) 02:29:48 | URL | さんぽ #-[ 編集]
既にオリジナルは出尽くしているという観点
他ならぬ庵野監督が、EVAのヒットの最中に言っていたことだと思います。もう僕らの世代には、オリジナルを生み出せる余地はない、大概のことは既にどこかで誰かがやってしまっている。では、それをどうやって組み合わせていくのかが、クリエーターに求められる能力だ、みたいな話でしたか。

>ある☆かささん

ご賛同、ありがとうございます。

パロディ(引用することで笑いを誘う)というやり方は、上記で例示したような本歌取りのそれとは、また異なった高め方を求められるものですね。なんと言いますか、あ、これ知ってる!という快感を引き出しながら、それにとどまらない面白さも同時に盛り込んでいく必要があるので、これはこれで技量の要る方法論かと思います。

ハルヒの本にまつわる引用は、『(元ネタとの関連を)探して』という、製作者側からのメッセージですね。うまい具合に出してきたもんだと、感心しながら見ておりました。


>さんぽさん

上記に書きました通りで、私も同じことは思っておりました。なのに、今や『○○はエヴァのパクリ』とかって、おいちょっと待ておまいらwみたいな、ね。

最後のくだりはホメオスタシスとトランジスタシス、ですな。
2007/04/28(土) 10:42:45 | URL | てりぃ #AeClcLNc[ 編集]
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