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Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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出口なし
 行き詰まり、というものは、誰にだって訪れる。老若男女、古今東西、行き詰まらなかった人というのは、恐らく皆無であろう。その先を決定づけるのは、そこで「もうダメだ」と投げ出してしまうか、「もうちょっと」と頑張れるかの違いなのだろう。

 ただ、いつも頑張ってばかりいることが、必ずしもいいこととも限らない。張りつめた糸がいつか切れるという例え通り、緊張しっぱなしではいつか無理が来る。時には休息も必要だし、場合によっては逃げることが最善の策だったりもする。「こうでなくてはならない」というものなど、世の中にはない、と割り切ってしまえば、随分と心が楽になるものだ。真の意味での「袋小路」なんて、人生にはないのだとも言える。

 さて。本題に入ろう。最近何かと耳に入ることの多い、自殺の話である。
 
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 以前別な記事で書いた通り、私自身も自ら命を絶つことを意識した経験がある。今思えば、あり得ない判断ではある。だが、その時の自分の追いつめられ具合から考えれば、無理からぬ事、とも思えるのだ。出口がないと意識した者にとって、唯一開かれた自由への扉。それが、自殺への道なのだから。

 ただ、実際冷静になってみれば、先に述べたように「出口がない」などということは無い。だから、それがわかっている他者はしたり顔で「出口はあるじゃないか」と説いたりする。場合によっては嘲る者や、根性が足りんなどと叱咤する者もいるだろう。だが、これは全くの逆効果だ。出口が見えなくなった者は、見落としや根性無しのせいで出口が見えなくなったわけではない。「出口が見えない状況」に置かれていること、そのこと自体が彼(彼女)の直面した問題なのである。出口が見えなくなったのは何故か、どうすれば再び出口が見えるようになるのかを共に考えなければ、解決など夢のまた夢であろう。

 閉塞感。先の見えない時代には、人はそれを感じ取りやすいように思う。感受性の高い青少年ならなおのことだ。バックグラウンドに流れている、嫌な空気。それらは人を経由して濃度を増し、捌け口を求めて一箇所に集中する。そんな濁流を浴びて堪えきれなくなった者が根性無しか、ファイティングスピリットとやらが足りない人間か。そんなことはないだろう。暴言を承知で言わせてもらえば、その嫌な空気を感じ取れないのは鈍感のせいなのではないかと反論もしたくなる。

 翻って見直せば、ことは青少年の問題だけではない。いじめを看過したことを責められ、自殺に追い込まれていく教育の責任者たち。これを責任逃れと批難する向きもあるだろうが、本当にただそれだけのことだろうか。世界に淀む負のエネルギーを、一斉にぶつけられたいじめの被害者たちと、よく似た側面がありはしないか。何故にこうも、世の中は一斉に、哀れな子羊に向けて「お前が悪い」と言いたがるのだ。

 結局、特定の職業や特定の年齢層、特定の個人が変調を来しているのではないのだろう。深く生活に刺さり込んだ長年の「ゆがみ」が、最も弱いところから吹き出しているのが現状なのではないだろうか。ならば、特定の職業や特定の年齢層、特定の個人の中に「犯人」を見つけ出そうとしても何にもなるまい。小学校の学級会が「誰それが悪いと思います」のみに終始してしまった時、有意義な結論を導いてくれたことがあったか。

 むしろ、と私は思う。「誰それが悪い」で済ませてきたことのツケが、今こうして巡ってきているのではないか。事件が起こるたびに「首謀者」のみを祭り上げ、禊ぎを済ませた気になって忘却の彼方に押しやってきた、その報いが悲しい出来事に繋がっているのでは。だとすれば、やはり自分も他人事ではいられないではないか。同じ「人間」が起こした悲劇は、いつか自分が関わるものかも知れないのだ。

 死をもって一矢報いんとす。拡大していくその行動は、我らが社会の生んだものに相違ない。その責任を果たすつもりで、ゆがみに苦しむ人の声に真摯に耳を傾けようとしなければ、事態は収束しないだろう。愛すべき我が子たちが世界から追い込まれ、自らの命を絶とうと、今まさに高層ビル屋上の金網の向こうから、こちらに向けて最後のメッセージを送っているのだ。そこに真剣なまなざしを向けずに何とする。本当の解決に向けて、親身に問題の所在を探らずにいて何とするのだ。根は深いが、やらねばなるまい。それが、子どもたちの親を名乗る者の責務である。
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コメント
この記事へのコメント
 今いる場所がすべてになってしまって他所には別の価値観があることや、自分がいなくなることで自分の大切な人にほど辛く嫌なこと


 まずは家族で団結して、向かっていくか逃げるかしていきたいです。あと綺麗なものを見て、価値観が違う心の逃げ場所を確保することも。






2006/11/16(木) 01:44:46 | URL | かかし #-[ 編集]
デリケートな話題なのだが、
自殺するほど追い込まれた者は、その閉鎖された神経の前では逃げ道や救いの手すらも見えないものです。
親身になる者とて、「経験者」でなければ正しい答えを導けないのではないか、とも考えたりします。

俺だって40年生きてきて、自殺したくなる様な事も、死にそうになった事も、多々有りますよ。
両手では数え切れない知人を失って。自ら死を選んだ者もそうでない者も、「それが寿命」と見送ってきたさ。
己が道を選んだ為に、七難八苦、最後に残ったのは不自由になったこの身体。正直、悔いは残ったり・・・
でもね、まだまだ捨てたものじゃないと思えるこの生を、もう少し生きてみようかと思っているのさ。
2006/11/16(木) 22:06:55 | URL | ごす #ilk/GieM[ 編集]
アンタッチャブルな話題の辛さ
軽々には触れられないけどすごく大事な話題、の典型かなーと思いますよね。どうでもいい結末で流していい訳は絶対にないんですが、じゃあ万人に満足のいく形に落とせるのかというとすごく難しいし、何よりその過程で渦中の人の気持ちを逆なですることに繋がる危険があまりにも大きいですし。

>かかしさん

一人ではどうにもならないことが、何人かで立ち向かうだけで随分楽になったりはしますよね。だから、家族はせめてその役割を果たしたい、と多くの場合思っている気がするんですが…。それが果たせないばかりか、気付いて上げることも出来ずに肉親を失ってしまった人たちの苦悩を考えると、想像を絶するものがあります。

そうなればこそ、もっと考えて、同じ悲劇が起こらぬように努めるのが、悲劇のあったことを知った我々の責務なのかなーという思いがあります。どこまで役立てることが出来るかは自身がないんですが、でもそのように意識さえしてなければ、一歩も進めないですもんね。

>ごすさん

実際に「見送らざるを得ない立場」に長年身を置いてこられたのですね…。その辛さ、想像するに余りあります。

そして、その上で「まだまだ捨てたものじゃない」と言える強さを、私は一知人として全力で応援したい気持ちになります。頑張っていきましょう。我々が諦めたら、我々自身も「そこでゲームセット」には違いありませんが、きっと残される人々にも多くの悲しみを残すのでしょうから。どうせ残すなら、勇気とか強さとかを残して逝きたいですよ。ね。
2006/11/17(金) 22:03:17 | URL | てりぃ #O8jQI81I[ 編集]
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