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Old Dancer's BLOG
ここはてりぃが、趣味の共通する方々との得がたいつながりのために、自分の趣味に関係する諸々のことを、壊れながら書きつづるブログです。
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一人になりたい時
 一人になりたい時、というのが、ある。自己を見失っていると感じる時。他者からの干渉に疲れてしまった時。思うように事が運ばぬ時。まあ、色々だ。

 これは、いわゆる「引きこもり願望」かもしれない。どんな風に考えてみても、あまり健康な状態とも思えない。でも、どうしてもそれが必要と感じる。例えそれが底無し沼に素足で踏み込むに等しい行為なのだとしても。

 それは、これが自身の発する一種のSOSだからなのだろう、と思う。多分、自分は助けて欲しいのだ。誰に?自分?家族?友人、学校、職場、世界…。
 
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 学生時代の一人暮しは、これ以下はないほどに素っ気なく、そしてこれ以上ないほどに気楽なものだった。ダメ学生街道をまっしぐらに走っていたから、何時に寝起きしても誰も咎めないし、スケジュールは思うまま。お金はなかったから出来ないこともたくさんあったけど(信じられないかもしれないが、最初の2年はテレビすらなかったし、ビデオデッキやゲーム機はとうとう卒業まで持たなかった)、時間の許すままに延々と本屋で立ち読みをしたり、ゲーセンに入り浸ったり。怠惰の極みではあったが、楽しい日々には違いなかったと思う。自分がこんなにも「だらし無い人間」なのだ、という現実に、嫌でも向き合える貴重な体験だった、と言えなくもない。いや、これはさすがに美化し過ぎか。

 その経験ゆえなのか、はたまたそれとは無関係になのか、あの日の怠惰な生活を夢見たくなることが、今だに時折、ある。絶対に無理だろう、と理性では悟っているから尚更だ。仕事がある。家族がある。決して裏切れない、貴重な付き合いの数々がある。それらを全て捨て去ることは、世捨て人となって仙人のように俗世と関わらずに過ごす、戻れぬ道に踏み込むことと同義なのだ。

 求めても得られない。するとなおのことそれを欲するようになる。しかし欲すれば欲するほど、失楽園は遠くなる。忘れてしまえば楽になれるのだろうけど、気持ちが委縮し始めるとやはり頭に浮かぶのは、今は遠い世界のことだ。その代わりに自分が得てきた現在の幸福のことは、次第に意識の表に登ってこなくなる。なんと不幸なことだろう。

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 閑話休題。ケータイ世代と呼ばれる今の若者は、相手からメールの返信がないととても不安になるのだそうだ。また、ネットにはまる形の一つとして、メールを頻繁にチェックしてしまう傾向の人が増えているとも聞く。近年流行のSNSでは、登録されている友人たちから反応がなくなるのが怖くて次第に深みにはまる人も多いらしい。私はと思ってみれば、アクセス減を防ごうと必死でブログの更新を続けている。

 これらは皆、同じ理由からくる症状の一種ではないのか。繋がっているということを、現代ならではの便利なツールで実際に確認できないと落ち着かない、不安症候群の一つなのではないか。その不安は次第に苛立ちとなり、周囲への軽い敵意になって育つ。何故返信をくれないのか。何故オレに構ってくれないのか。こんなにも、オレは世界のことを愛しているのに、どうして世界はオレのことを無視するのか。もっと愛されたい、構われたい。頼むから何か言ってくれ、どんなつまらないことでもいいから。

 表層的な反応でも、返ってくればとりあえずは安心する。その奥底に潜むものに深く触れなくとも、気持ちよく生活を送ることが出来る。それが、相手の心の中で一番大事なものと関わる行為にはほど遠くとも、自分はこれで満足なのだ。そちらに流れ始めてしまえば、関わり合いはどんどん淡白になる。相手に対しては都合の良い自分像を投影し、そのくせ相手が自分に対して本当に欲しているものが何なのかまでは知ろうともしない。雄弁な会話と、空虚な関係。その上に、なお一層空虚な自分を積み上げる。

 便利なツール群がない時代、僕らの関係は空虚であったろうか?否、と思いたい。電車も車も無かった頃、数百キロの圧倒的な距離を隔ててさえ、今見上げる真円の月を、この同じ月を彼女もまた見ているのだと、そのことのみを支えにして愛情をはぐくんでこられた時代。それが、メールの応酬で安心をつなぎ止める行為よりは深いものだったのだと信じたいオレの心は、ただの懐古主義に甘えているだけなのだろうか?

 過去の人々に出来たことが、何故僕らには出来ない?気付きさえすれば、出来るのではないか?飛べないと思っているだけで、背中には立派な羽根が付いているのではないか?愛も情熱も、友情も親愛も、全てが気付きを待っている。他ならぬ、自分自身による気付きを。

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 孤独を求めてみたり、深い関わり合いを求めてみたり。本当に人間は勝手だ。でも、その根っこが、どこかで繋がっているような、そんな気がしたのである。喉まで出かかっているこの何かを、僕が見据える日は来るだろうか。まだまだ、長い惑いの日々は続きそうである。
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コメント
この記事へのコメント
人と繋がる意味
私はそれを、見出せないで居るのかもしれない・・・
電脳世界だけの関係は、確かに空虚なモノである気がする。
例えば、私とてりぃさんの関係は、電脳世界だけのもの・・・
でも、それをただ空虚なものだとは言いたくない、自分がいる。
てりぃさんの記事を読み、コメントを残し、楽しいと思う一時を過ごせる・・・
この一時もまた、大切な時間なのだと、私は信じたい。
2006/09/20(水) 12:14:04 | URL | 結城 レイ #-[ 編集]
想いは必ず届くと
どう返そうか小一時間悩みましたが、通常モードで。

関係の濃さはスタイルには因らない、というのが私の持論です。もちろん、その関係の続いた時間にも。だから、本文中で挙げているようなケータイメールの取り持つ関係の全てが空虚であるとは私は思っておりませんし、そんなツールに基づかない関係の全てが濃いものであるとも思いません。

気持ち次第、と言ってしまったらすごく青臭くなりますが、そういう事なのだろうとは思います。独りよがりにならず、相手の気持ちを見定める努力を続ける人は、それだけいい関係に多く恵まれるのだと、そう信じたいものです。
2006/09/21(木) 00:04:50 | URL | てりぃ #O8jQI81I[ 編集]
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