ハルヒのレビューに当たっては、なるべく「画面に証拠らしきモノが出ていないような、『完全な推測』による考察を避ける」という態度で臨んできました。あそこまで色々と仕込まれている映像に対して邪推のみが突っ走ってしまうのは申し訳ない気持ちでしたし、何よりそんなところに言葉を費やせるほど余裕がありませんでしたしね。特に放映第四話の「退屈」以降は全てリアルタイム視聴~朝方までの感想アップを行っておりますので、とにかくもう「時間との戦い」。「ここは?!」と思うところに意識を集中して繰り返し録画を見、頭の中で構想をまとめ、最初の書き下し方はどうしようとか全体の流れはどう持っていこうとかうんうん悩みながらテキストエディタと格闘し、あれ、話が反れました。
そんなわけで、放映時に自分に課していた枷を外し、これまでついに書く機会のなかった部分についての考察を、今日はやってみようかと思います。題して、「ハルヒとキョンの名前が示すものについて」。
そんなわけで、放映時に自分に課していた枷を外し、これまでついに書く機会のなかった部分についての考察を、今日はやってみようかと思います。題して、「ハルヒとキョンの名前が示すものについて」。
放映最終話「憂鬱 VI」のレビューでちょこっと触れましたが、「朝比奈みくる」の名前には「み=未」「くる=来」という字を当てて「未来」が導き出される、ちょっとした仕掛けが存在します。これは偶然というよりは意図的に組まれたもののように思えますが、それを確証する術はありませんので、「てりぃの妄想」の域を出ないものです。
じゃ、どうせ確証がないなら妄想ついでにもう一歩。SOS団の他のキャラクターには、そういう「名は体を表す」ような仕込みはないのでしょうか?
一樹と有希については両者とも漢字が既にあてがわれているため、その漢字の持つ意味やイメージにある程度制約を受けます。特に一樹は難しいですね。「一本の樹」というだけなので、解釈の幅があまりありません。森の中にある「一本の樹」という解釈に則れば、組織の歯車として動く存在であること、その裏に潜みうるややニヒルな色彩を帯びた悲哀などを読み取ることも可能ではありますが、果たしてそこまで読んでよいものやら…。「目的を持つある集団の一人として行動している」という点で言えば、一樹に限らず有希やみくるもそうなわけなので、ちょっと説得力に欠ける解釈かな、と思っています。
一方、有希は「希望」が「有る」ですから、問題発生に際して解決を導くキーとしての存在、希望につながる者であるという、もう少しちゃんと胸に落ちる解釈が一応は可能ですね。これだと、トラブルシューターとしての彼女の役回りにはピッタリはまりますから、結構いい線ではないかなと思います(ただし、間接的な助言を与えることしか出来なかった「憂鬱 VI」での立場の説明が出来ないのですが)。他にも、字面を取っ払って「読み」だけで妄想すると、「雪」~実は儚げな存在?とか、「往き」~通り過ぎるだけの存在、悲哀を持つ者?…なんていうのも可能で、まーさすがにそれはやりすぎだろうとは思うのですが、ついついリミッターを取っ払って邪推の彼方へ驀進しそうになってしまいますね。個人的には「有機」~実は実際の「有機生命体」=人間にかなり近い存在、その出自とは裏腹に豊かな喜怒哀楽を持つ者?…という解釈がとても気に入っています。
~~~
さて。本題の主人公格である二人、「ハルヒ」と「キョン」に移ります。この二人については、自分なりにもうちょっと確度が高いかな、と思える妄想に辿り着いたような気がするんですよ。それは「サムデイ イン ザ レイン」や「憂鬱 VI」のレビューで私が述べたような本編の解釈と絡みます。この二人は名前にも、それぞれが求める「非日常」「日常」を意味する言葉が織り込んであるのではないかと思うのです。
まず「ハルヒ」ですが、彼女の求めるもの、ユカイな日々は折に触れて「晴レ」に象徴されることが示されております。ED曲「ハレ晴レユカイ」では、魔法以上のユカイが降り注ぐのが「アル晴レタ日ノコト」とされていますし、それと対をなす形で「サムデイ イン ザ レイン」ではおとなしい日常の雨の日の描写がなされました。「憂鬱 VI」でも彼女の望む未来として「太陽が昇る」というフレーズがあります。となれば、割と簡単に出てくるのが「ハルヒ=晴ル日」ではないか、という考えなわけですね。
では「キョン」はどうか。この名は愛称であり、本名ではありません。いつまでも本名で呼んでもらえない彼は、それ自体がギャグの一つを構成しているのですが、作者があえて本名を隠している、という側面はないでしょうか。つまり「本名を明かしてしまっては、その象徴するものが簡単に読み取られてしまって具合が悪い」ので、あえて愛称のままにしてある、ということです。
そこで、「キョン」という愛称になりうる名前を色々と考えてみました。キョウスケ、キョウイチ、キョウタロウ、とまあいくつか思いつく中で、割と頻繁に出てくるのが「キョウ」という音です。ま、「キョ」が含まれるだけで良いなら世の中には「キョセン」なんていう名前もありますけども(笑)、日本人の名前に多く含まれる「キョウ」から「キョン」という愛称が出ていそう、という印象には結構納得感があります。仮にそうだと仮定とした時、この「キョウ」は「今日」を表す音だと考えられないでしょうか?
「今日」は、あるがままの今、という観点では「日常」と読み替えられます。「今日を楽しむ」ことは「あるがままの今=日常を楽しむこと」と同義です。つまり、「憂鬱 VI」のAパートでキョンが独白していたような、「彼が欲する日常」を意味する音を、彼自身が名前の中に持っている、ということに他なりません。そのように位置づけると、「憂鬱 VI」のレビュー後半で述べたような、「ハルヒ」と「キョン」の二人の関係が、一層説得力を増す気がするのですよ。「非日常」を名前に持つハルヒが求めるのが「日常」を名前に持つキョンであり、「日常」を名前に持つキョンが求めるのが「非日常」を名前に持つハルヒである…。美しいシンメトリーではありませんか。その二人の接触~Kissが、新世界への扉を開いた、というのは、ロマンチックに過ぎますかね?
~~~
OP曲「冒険でしょでしょ?」中の、とても印象的な変則リズムの一節を思い出してみましょう。放映時のシャッフル展開をも示したような、以下の一節です。
これを歌っているのが「ハルヒ」とするなら、大変意味深な歌詞ではありませんか。彼女は「ユカイな未来」を目指して行動するキャラクターであるはずなのに、「奇跡」なのは「明日」ではなく、「今日」の方なんですよ。彼女が望んだはずの「明日」から見て過ぎ去った過去である「今日」に、実はとても大事なものがある、と彼女は歌っているわけです。そして、上記の私の妄想では「今日=キョン」。この意味が込められているのだとすると、詩的な言い回しと思えた「今日の今」という重複表現が、ちゃんと意図したものであったような気さえするのです。
…もー。お前ら好きにしろよ!(笑)てなわけで、お粗末様でした。
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じゃ、どうせ確証がないなら妄想ついでにもう一歩。SOS団の他のキャラクターには、そういう「名は体を表す」ような仕込みはないのでしょうか?
一樹と有希については両者とも漢字が既にあてがわれているため、その漢字の持つ意味やイメージにある程度制約を受けます。特に一樹は難しいですね。「一本の樹」というだけなので、解釈の幅があまりありません。森の中にある「一本の樹」という解釈に則れば、組織の歯車として動く存在であること、その裏に潜みうるややニヒルな色彩を帯びた悲哀などを読み取ることも可能ではありますが、果たしてそこまで読んでよいものやら…。「目的を持つある集団の一人として行動している」という点で言えば、一樹に限らず有希やみくるもそうなわけなので、ちょっと説得力に欠ける解釈かな、と思っています。
一方、有希は「希望」が「有る」ですから、問題発生に際して解決を導くキーとしての存在、希望につながる者であるという、もう少しちゃんと胸に落ちる解釈が一応は可能ですね。これだと、トラブルシューターとしての彼女の役回りにはピッタリはまりますから、結構いい線ではないかなと思います(ただし、間接的な助言を与えることしか出来なかった「憂鬱 VI」での立場の説明が出来ないのですが)。他にも、字面を取っ払って「読み」だけで妄想すると、「雪」~実は儚げな存在?とか、「往き」~通り過ぎるだけの存在、悲哀を持つ者?…なんていうのも可能で、まーさすがにそれはやりすぎだろうとは思うのですが、ついついリミッターを取っ払って邪推の彼方へ驀進しそうになってしまいますね。個人的には「有機」~実は実際の「有機生命体」=人間にかなり近い存在、その出自とは裏腹に豊かな喜怒哀楽を持つ者?…という解釈がとても気に入っています。
~~~
さて。本題の主人公格である二人、「ハルヒ」と「キョン」に移ります。この二人については、自分なりにもうちょっと確度が高いかな、と思える妄想に辿り着いたような気がするんですよ。それは「サムデイ イン ザ レイン」や「憂鬱 VI」のレビューで私が述べたような本編の解釈と絡みます。この二人は名前にも、それぞれが求める「非日常」「日常」を意味する言葉が織り込んであるのではないかと思うのです。
まず「ハルヒ」ですが、彼女の求めるもの、ユカイな日々は折に触れて「晴レ」に象徴されることが示されております。ED曲「ハレ晴レユカイ」では、魔法以上のユカイが降り注ぐのが「アル晴レタ日ノコト」とされていますし、それと対をなす形で「サムデイ イン ザ レイン」ではおとなしい日常の雨の日の描写がなされました。「憂鬱 VI」でも彼女の望む未来として「太陽が昇る」というフレーズがあります。となれば、割と簡単に出てくるのが「ハルヒ=晴ル日」ではないか、という考えなわけですね。
では「キョン」はどうか。この名は愛称であり、本名ではありません。いつまでも本名で呼んでもらえない彼は、それ自体がギャグの一つを構成しているのですが、作者があえて本名を隠している、という側面はないでしょうか。つまり「本名を明かしてしまっては、その象徴するものが簡単に読み取られてしまって具合が悪い」ので、あえて愛称のままにしてある、ということです。
そこで、「キョン」という愛称になりうる名前を色々と考えてみました。キョウスケ、キョウイチ、キョウタロウ、とまあいくつか思いつく中で、割と頻繁に出てくるのが「キョウ」という音です。ま、「キョ」が含まれるだけで良いなら世の中には「キョセン」なんていう名前もありますけども(笑)、日本人の名前に多く含まれる「キョウ」から「キョン」という愛称が出ていそう、という印象には結構納得感があります。仮にそうだと仮定とした時、この「キョウ」は「今日」を表す音だと考えられないでしょうか?
「今日」は、あるがままの今、という観点では「日常」と読み替えられます。「今日を楽しむ」ことは「あるがままの今=日常を楽しむこと」と同義です。つまり、「憂鬱 VI」のAパートでキョンが独白していたような、「彼が欲する日常」を意味する音を、彼自身が名前の中に持っている、ということに他なりません。そのように位置づけると、「憂鬱 VI」のレビュー後半で述べたような、「ハルヒ」と「キョン」の二人の関係が、一層説得力を増す気がするのですよ。「非日常」を名前に持つハルヒが求めるのが「日常」を名前に持つキョンであり、「日常」を名前に持つキョンが求めるのが「非日常」を名前に持つハルヒである…。美しいシンメトリーではありませんか。その二人の接触~Kissが、新世界への扉を開いた、というのは、ロマンチックに過ぎますかね?
~~~
OP曲「冒険でしょでしょ?」中の、とても印象的な変則リズムの一節を思い出してみましょう。放映時のシャッフル展開をも示したような、以下の一節です。
明日過去になった今日の今が奇跡
これを歌っているのが「ハルヒ」とするなら、大変意味深な歌詞ではありませんか。彼女は「ユカイな未来」を目指して行動するキャラクターであるはずなのに、「奇跡」なのは「明日」ではなく、「今日」の方なんですよ。彼女が望んだはずの「明日」から見て過ぎ去った過去である「今日」に、実はとても大事なものがある、と彼女は歌っているわけです。そして、上記の私の妄想では「今日=キョン」。この意味が込められているのだとすると、詩的な言い回しと思えた「今日の今」という重複表現が、ちゃんと意図したものであったような気さえするのです。
明日過去になったキョンの今が奇跡
…もー。お前ら好きにしろよ!(笑)てなわけで、お粗末様でした。
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■関連記事~プライベートでKanonの話が… (2008/05/13)
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この記事へのコメント
初めまして。
AIRの時以来、いつも楽しく拝見
させていただいております。
>「雪」~実は儚げな存在?
流石に鋭くていらっしゃる。
最新刊「憤慨」に収録のエピソード
にて、長門自作小説(ポエム?)の
中でそれを匂わせる記述があったり
します。
>とても印象的な変則リズムの一節
自分も、あそこはあの曲のサビの
部分として、とても好きです。
この作品をある種、象徴している
フレーズのような気がしています。
AIRの時以来、いつも楽しく拝見
させていただいております。
>「雪」~実は儚げな存在?
流石に鋭くていらっしゃる。
最新刊「憤慨」に収録のエピソード
にて、長門自作小説(ポエム?)の
中でそれを匂わせる記述があったり
します。
>とても印象的な変則リズムの一節
自分も、あそこはあの曲のサビの
部分として、とても好きです。
この作品をある種、象徴している
フレーズのような気がしています。
2006/07/12(水) 00:11:53 | URL | ひふみー #-[ 編集]
初めまして。よしの屋と申します。ハルヒ最終話感想における、怒涛の考察・洞察に感嘆することしきりだったものです。あの記事にあった「未来(みくる)」の解釈に発想を得て、自分も色々と名前の出自を調べてみたんですが、そこで有力情報をひとつ。広辞苑によりますと、「斎(いつき)」という言葉には、「神につかえるもの」という意味があるそうです。表記こそ違えど、なにやら意味深だと思うのですが、いかがでしょう?
2006/07/12(水) 15:05:21 | URL | よしの屋 #gVqG0MXI[ 編集]
遅刻の挨拶が定型句化していて大変申し訳ないてりぃです。orz
>ひふみーさん
AIRの頃からお世話になっているとのこと、ありがとうございます。
「雪」については、キャラソンのタイトルにも引用されていたのでひょっとしたら、と思ってはおりましたが、原作の方でも匂わす記述があったとは。これは先が何とも楽しみですね。
OPのあの一節は、私も大好きですよ。未だにリピートしております。
>よしの屋さん
ハルヒ記事をいつもご覧頂いていたとのこと、どうもありがとうございます。
「斎(いつき)」についての大変貴重な情報、どうもありがとうございます。いやーこれは興奮しますね。「サムデイ イン ザ レイン」において完全にハルヒのイエスマンと化していた古泉のことが脳裏をよぎりますよ。これはかなりいいところを突いているのではないでしょうか?
最近ネットでの検索に頼るクセが付いていたため、広辞苑で調べるところまでは思い至りませんでした。紙媒体での調べ物もやはり場合によって活用すべきですね。反省です。orz
>ひふみーさん
AIRの頃からお世話になっているとのこと、ありがとうございます。
「雪」については、キャラソンのタイトルにも引用されていたのでひょっとしたら、と思ってはおりましたが、原作の方でも匂わす記述があったとは。これは先が何とも楽しみですね。
OPのあの一節は、私も大好きですよ。未だにリピートしております。
>よしの屋さん
ハルヒ記事をいつもご覧頂いていたとのこと、どうもありがとうございます。
「斎(いつき)」についての大変貴重な情報、どうもありがとうございます。いやーこれは興奮しますね。「サムデイ イン ザ レイン」において完全にハルヒのイエスマンと化していた古泉のことが脳裏をよぎりますよ。これはかなりいいところを突いているのではないでしょうか?
最近ネットでの検索に頼るクセが付いていたため、広辞苑で調べるところまでは思い至りませんでした。紙媒体での調べ物もやはり場合によって活用すべきですね。反省です。orz
先日は勝手に見つけて勝手にトラックバックを送ったにも関わらず返してくださいましてありがとうございました。
原作をゆっくりと読んでいますが、無理がある部分も含めかなり作り込まれた物語です。それをベースに、さらに作り込んだのがテレビアニメなので、きっかけさえ与えられればヒットするのは当然と今では思います。
登場人物の名前やOP、EDの歌詞についてもなんらかの意図があると考える方が自然だと思います。
てりぃ様の今回の記事にはほとんど関係ないので迷ったのですが、ハルヒがらみの記事を書いたのでトラックバックさせていただきます。
原作をゆっくりと読んでいますが、無理がある部分も含めかなり作り込まれた物語です。それをベースに、さらに作り込んだのがテレビアニメなので、きっかけさえ与えられればヒットするのは当然と今では思います。
登場人物の名前やOP、EDの歌詞についてもなんらかの意図があると考える方が自然だと思います。
てりぃ様の今回の記事にはほとんど関係ないので迷ったのですが、ハルヒがらみの記事を書いたのでトラックバックさせていただきます。
>tanabeebanatさん
原作を楽しく読み進めておられるようで何よりです。私自身は、実は放映開始前に「溜息」はゲットしていたのですが、結局読まないまま本放送になだれ込んでしまいました。この先は…買ってある「溜息」は間違いなく読み進むと思うのですが、その先は、実は躊躇しています。早ければ恐らく来年秋ぐらい(長っ!)に放映されるであろう次期アニメシリーズに向けて、封印しておいた方がいいのでは?と。笹の葉も消失も、原作をご存じの方は絶賛なんですよね。それを、今の段階で読んでしまい、予備知識を蓄積してしまうことに、とてもためらいを感じております。
そんなこともありまして、直接記事の連関も薄いので、今回はこちらからのTBは遠慮させて下さいませ。勝手を申しましてすみませんが、よろしくお願いします。m(_ _)m
原作を楽しく読み進めておられるようで何よりです。私自身は、実は放映開始前に「溜息」はゲットしていたのですが、結局読まないまま本放送になだれ込んでしまいました。この先は…買ってある「溜息」は間違いなく読み進むと思うのですが、その先は、実は躊躇しています。早ければ恐らく来年秋ぐらい(長っ!)に放映されるであろう次期アニメシリーズに向けて、封印しておいた方がいいのでは?と。笹の葉も消失も、原作をご存じの方は絶賛なんですよね。それを、今の段階で読んでしまい、予備知識を蓄積してしまうことに、とてもためらいを感じております。
そんなこともありまして、直接記事の連関も薄いので、今回はこちらからのTBは遠慮させて下さいませ。勝手を申しましてすみませんが、よろしくお願いします。m(_ _)m
こんばんは。お返事頂いていたのを見落としておりました。トラックバックの件大変失礼いたしました。
こちらのサイトは今も楽しみに読んでおります。
こちらのサイトは今も楽しみに読んでおります。
わざわざ再度お越しいただき、恐縮です。「見落とし」については、ここのところコメント返しが激しく遅れることの多い私の問題のほうが大きいので、どうぞお気になされませんように。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
初カキコになります、如月です。ここのサイトの更新、特に最近のハルヒ旋風に関する内容を日頃の楽しみにしている者です。
さて、本題ですが、ハルヒという名の由来に「ハレ」があるとのことでした。晴れ、という意味では自分も多少ながら思い至る発想でありましたが、ここでかなり決定的な記述をウィキより発見したので、ここに記したいと思います。
実は「ハレ」というのは民俗学用語で「非日常」という意味を持つそうです。同様に「ケ」が「日常」を表すとのこと。さらに「ハレ=聖」「ケ=俗」という取り方もあるというのです。まぁハルヒを聖なる存在と定義するにはいささか無理があるやもしれませんし、「ケ」はどうでしょう、キョンというあだ名に持って行くには多少辛いかも知れませんが、しかしこの情報はてりぃさんの推察と直接的に噛み合っていると思われます。
おそらくてりぃさんの考えはこれによってほぼ完全に裏付けできるのではないでしょうか。
さて、本題ですが、ハルヒという名の由来に「ハレ」があるとのことでした。晴れ、という意味では自分も多少ながら思い至る発想でありましたが、ここでかなり決定的な記述をウィキより発見したので、ここに記したいと思います。
実は「ハレ」というのは民俗学用語で「非日常」という意味を持つそうです。同様に「ケ」が「日常」を表すとのこと。さらに「ハレ=聖」「ケ=俗」という取り方もあるというのです。まぁハルヒを聖なる存在と定義するにはいささか無理があるやもしれませんし、「ケ」はどうでしょう、キョンというあだ名に持って行くには多少辛いかも知れませんが、しかしこの情報はてりぃさんの推察と直接的に噛み合っていると思われます。
おそらくてりぃさんの考えはこれによってほぼ完全に裏付けできるのではないでしょうか。
2006/08/28(月) 22:31:08 | URL | 如月の海 #-[ 編集]
大変遅くなりました。コメント、ありがとうございます。
「ハレ」と「ケ」に関する情報、ありがとうございます。確か柳田國男でしたか、最初に「ハレ」「ケ」の概念を民俗学的に考証したのは。学生時代に、教養課程の中でその辺に触れた授業を受けた記憶がかすかに残っております。
「ケ」は、確か「ケガレ」に通じる概念という論じ方もあって、そのまま「ケ=日常」としてしまうと異論が出てしまうかもしれません。ただ、音の系列がよく似ていることから、傍証として用いることも出来そうですよね。
記事中に書きました通り、この辺の考証は「画面上or文章中ではっきりとした表現がない」部分でもあり、最終的な結論は作者さんに聞いてみないと本当のところは判らないというやっかいな部分でもあります。私としては、そうしたことを自覚した上で、楽しく色々考えられただけで充分な気持ちでございます。それだけの懐がある作品に出会えたことが、何より嬉しゅうございます。
「ハレ」と「ケ」に関する情報、ありがとうございます。確か柳田國男でしたか、最初に「ハレ」「ケ」の概念を民俗学的に考証したのは。学生時代に、教養課程の中でその辺に触れた授業を受けた記憶がかすかに残っております。
「ケ」は、確か「ケガレ」に通じる概念という論じ方もあって、そのまま「ケ=日常」としてしまうと異論が出てしまうかもしれません。ただ、音の系列がよく似ていることから、傍証として用いることも出来そうですよね。
記事中に書きました通り、この辺の考証は「画面上or文章中ではっきりとした表現がない」部分でもあり、最終的な結論は作者さんに聞いてみないと本当のところは判らないというやっかいな部分でもあります。私としては、そうしたことを自覚した上で、楽しく色々考えられただけで充分な気持ちでございます。それだけの懐がある作品に出会えたことが、何より嬉しゅうございます。
なるほど
キョン=今日
妹=明日、明日香
とかかもしれないですね
キョン=今日
妹=明日、明日香
とかかもしれないですね
2008/06/07(土) 23:22:21 | URL | わん #-[ 編集]
>わんさん
コメントありがとうございます。
さて、ハルヒシリーズについては、私は原作で読んだのは「憂鬱」他一冊+α、という感じなので、実はそれほど多くを語れない、という制限がございます。
その前提で、ですが…。妹ちゃんの名前まで夢想するには、ちょっと材料が足りない感じが致しますね。ハルヒが妹ちゃんのことを結構気に入っている(明日という不確定なものに何かワクワクしたものを求める?)、という辺りが傍証にはなり得ますが、もう一歩何かが欲しいところです。
まあ、こうやって色々と邪推するのが、醍醐味ではありますよね。
コメントありがとうございます。
さて、ハルヒシリーズについては、私は原作で読んだのは「憂鬱」他一冊+α、という感じなので、実はそれほど多くを語れない、という制限がございます。
その前提で、ですが…。妹ちゃんの名前まで夢想するには、ちょっと材料が足りない感じが致しますね。ハルヒが妹ちゃんのことを結構気に入っている(明日という不確定なものに何かワクワクしたものを求める?)、という辺りが傍証にはなり得ますが、もう一歩何かが欲しいところです。
まあ、こうやって色々と邪推するのが、醍醐味ではありますよね。
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シリーズ三作目『涼宮ハルヒの退屈』を読みました。 まずは、『涼宮ハルヒの憂鬱』『涼宮ハルヒの溜息』を読んだ時点で俺がとらえているこのシリーズの世界観をご紹介しておきます。 レベル5 作中作 レベル4 この小説でえがかれている世界 レベル3 考えていることを
2006/07/15(土) 12:38:21 | tanabeebanatの日記