オフコースの名曲「I LOVE YOU」の一節より。
この曲が発表された時、私は中学生。最も多感で最も自分を持て余していて、未熟だけどもエネルギーだけは溢れていた、そういう年ごろです。愛とか恋とか性衝動とか、そういう未知の、自分の中で煮えたぎっているのに何ひとつまともに対峙できないものと日々格闘していたころですから、この歌詞も「愛とか恋とか或いは別の何かとか」の延長線上にあるものとして受け止めていたと思います。
そんな思春期真っただ中の坊主も、月日の経過とともに青年に、社会人に、中年に、初老になっていって。
絶え間ないグラデーションの奔流を過ぎて、今やこの言葉は全く違う響きを以て、私の耳と心に響くのです。そう言えばこの曲のバージョンの一つでは、間奏部分に「ジョンレノンの訃報を伝えるナレーション」が被せられていました。当時の自分は、あれは小田さん自身が多大な影響を受けたアーティストへの思いを、ダブルミーニングのような要素としておまけのように被せたのだ」と思っていましたが…今は自信がありませんね。決して代えが効かない大事な人。そんな人たちとの永遠のお別れを私自身がいくつも迎えてきた今になると、やり場のない気持ちが渦巻くような夜には、星や月に託して思いを飛ばしたいような激情に駆られたりもするのです。
もちろん、飛ばしたところでその思いは決して何処にも行けないのでしょうが…それで「何処かに届けたような気になる」ことが罪だとは、私にはどうしても思えないのです。そのくらいの理不尽なロマンは、たまになら許してほしいのです。
この曲が発表された時、私は中学生。最も多感で最も自分を持て余していて、未熟だけどもエネルギーだけは溢れていた、そういう年ごろです。愛とか恋とか性衝動とか、そういう未知の、自分の中で煮えたぎっているのに何ひとつまともに対峙できないものと日々格闘していたころですから、この歌詞も「愛とか恋とか或いは別の何かとか」の延長線上にあるものとして受け止めていたと思います。
そんな思春期真っただ中の坊主も、月日の経過とともに青年に、社会人に、中年に、初老になっていって。
絶え間ないグラデーションの奔流を過ぎて、今やこの言葉は全く違う響きを以て、私の耳と心に響くのです。そう言えばこの曲のバージョンの一つでは、間奏部分に「ジョンレノンの訃報を伝えるナレーション」が被せられていました。当時の自分は、あれは小田さん自身が多大な影響を受けたアーティストへの思いを、ダブルミーニングのような要素としておまけのように被せたのだ」と思っていましたが…今は自信がありませんね。決して代えが効かない大事な人。そんな人たちとの永遠のお別れを私自身がいくつも迎えてきた今になると、やり場のない気持ちが渦巻くような夜には、星や月に託して思いを飛ばしたいような激情に駆られたりもするのです。
もちろん、飛ばしたところでその思いは決して何処にも行けないのでしょうが…それで「何処かに届けたような気になる」ことが罪だとは、私にはどうしても思えないのです。そのくらいの理不尽なロマンは、たまになら許してほしいのです。
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